2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

▲▼∴ 212. ∵▲▼ ススキにも心を凍りつかせる

アルフォンス・ル・サージュの『宝石詩』、 アルベルトゥス・マグヌスの『鉱物論』を経て、 コンラート・フォン・メーゲンベルグ(1304〜1374)の 『自然の書』では イスラム王でもあった魔術師ゲテル(=テテル)の著作に言及し、 砂漠を放浪うヘブライの民…

▲▼∴ 211. ∵▲▼ 「カメオ出演やからノーギャラでっせ! 宜しおまんな? いやいや、私は幾らかでも払いたいのですよ。しかし下手に半端な額、支払うと帰って申し訳ない! って訳で。」

1372年に没したジャン・ド・マンドヴィルの 『14世紀の宝石詩』ではピュロス王も アポロンも現れず、 神話の記憶を留どめてはいないようだが、 ブローチの「カメオ」は賢王ピュロスの 指輪がモチーフ/オマージュだ。 .

▲▼∴ 210. ∵▲▼ 古代の碩学の永い永い寿命

11〜15cには多種多様な異本の現れた マルボードの『宝石詩』では プリニウスそのままの引用だし、 .

▲▼∴ 209. ∵▲▼ 「人面岩」と「岩面人」

A.D.227年以前の偽プルタルコスは、 クテシフォンの『植物論』や アリストブロスの『石論』、 メンデス人トラシュロスの『悲劇物語』・ 『トラキア人たち』を総合した『大河論』の中で、 「人間の形をしたリボン状水晶」を揚げている。 .

▲▼∴ 208. ∵▲▼ ええ石理してまんな!

A.D.230年頃のC・J・ソリヌスは、 「それは瑪瑙のクオリティ次第なのだ」 と説く。(『碩学』において。) インド産の瑪瑙であれば森や動物を描くし、 神々の母が浮かび出て見える「オートグリフ」に、 男たちの姿を現す「フィラデルフ」。 .

▲▼∴ 207. ∵▲▼ 我らのプリニウス 〈←真昼? 私の?〉

セイレーンの姿を呈したパロス島の大理石(36節#4)、 割ると掌や棕櫚の葉の現れる・ 若きポンペイウスを名将カエサルが打ち負かした ヒスパニアのムンダ近郊の石(36節#29)、 太陽や月を内に含んだ「アステリア」(37節#47)、 竪琴を手にしたアポロンと9…

▲▼∴ 206. ∵▲▼ 白クノ蝦蟇? 46?

そう、第二章の「絵のある石」の話だった。 瑪瑙〔メノウ〕や大理石の人為的な画像の見出せる物を 「gamahé」〔ガマエ〕というが、 紀元前の古代からそういう見立ての伝統はあったようで、 我らのプリニウスにはしっかりと記述されている。 〈まあ、当然とい…

▲▼∴ 205. ∵▲▼ “意識”のメタな元型

視覚と精神の逸脱を巡る総合的研究である、 私の著作の中ではそういう一切の前提条件を外し、 素直な気持ちで眺めてもらいたい。 …と序文において吐露るバルトルシャイティスは、 第一章で近代に流行ったトムソンの形態学以前に 滔々たる「観相学」があった…

▲▼∴ 204. ∵▲▼ ゆるゆるバルトルシャイティス、「序文」

科学的な偏見によって“真理”から遠ざかってしまった、 第一級の名声を得ている哲学者・碩学・作家・芸術家たち。 ひとたび思弁の領域に突入してしまうと、 “思考のアクシデント”というだけでは済まない。 “形而上的な真理は仮面の真理である”のに… これらは…

▲▼∴ 203. ∵▲▼ 安倍ら四温

「マーブル模様」といえば、 種村季弘と巌谷國士が共訳した、 謎多き美術評論家である 「ユルギス・バルトルシャイティス」著作集の 第一巻『アベラシオン』 〈また「シオン」だ! 荒俣宏の『レックス・ムンディ』といい!〉 の第二章「絵のある石」に豊富な…

▲▼∴ 202. ∵▲▼ 原始的な偽造防止策

この税務の申告季節になると 「日計式簡易帳簿」と付き合わざるを得ないし、 小口のマーブル模様を見つめて 記憶の飛んでいるような朝を 迎えることもある。 .

▲▼∴ 201. ∵▲▼ BOROボロ

どんどんどんどん主題・本道・本堂から外れる。 「真理」は永遠に差延される、 『ゼノンの矢』の如きラビリントスなのか? いや、『ネグレスコ・ホテル』までは24時間南へ 走らせれば到達するくらい百も承知だ。 え、50マイル? ↓ ↓ 正解は、以下のカラオケ…

『 マーブル美術館 』

▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 “マーブル美術館”だった、ルーブル美術館 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .

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△▽∴ 116. ∵△▽ 物を粗末にする勿れ

そして利休は、 花を斬って、腹を切らせられた。 ↓ ↓ 利休ール呑んで気ィ直して下さい。 .

△▽∴ 115. ∵△▽ “芸”の事では勝ったけど…

つまり、 “熾烈な粋合戦” が繰り広げられて、 秀吉が権力を笠に “反則勝ち”したような 所がある。 .

△▽∴ 114. ∵△▽ 「亭主失格」

世人はこれを 「花を愛でることを知らぬ冷酷な態度」 であるというし、 桑田忠親は「児戯に等しい」 と判じている。 《桑田忠親『定本 千利休』p167》 .

△▽∴ 113. ∵△▽ 面桶の水翻を持って席に現れた御茶頭の利休は、炉端に着座し、洞庫から瀬戸水指と柄杓を取り出して床の前へ滲り寄った。一座の衆が見守る中で、肩衝と天目の間の野菊を何気なく抜き取って…

てやんでい、ばーろーめい! とでも云わんばかりに、 すぐさまこの“不純物”をどけ、 捨て去るように扱っている。 .

△▽∴ 112. ∵△▽ 『白衣の天使』と『黒衣聖母』

「野菊」といえば「白」である。 伊藤左千夫に倣えば「純白」であろう。 我々の所謂「素人考え」で見れば 「結構まあまあな取合せ」ではないか? …と思うが、 利休はこれを許さなかった。 .

△▽∴ 111. ∵△▽ Khaki カーキ

幸い、利休の用意した「紹鴎の天目」とは 「白天目茶碗」であって http://www.izu.co.jp/~tatami/nenpyou/jouou.htm 「黒い二つの容器」という シックな取り合わせでは無かったようである。 つまり「ダークグレーの鴫肩衝」と、 「茶に白の混ざった天目茶碗…

△▽∴ 110. ∵△▽ 品なき国宝!

あの、真っ黒な地に、 青白いマダラ模様のあれは、 私には「ペイント柄のジーンズ」を想わせられて、 何だか嫌である。 勿論、大絶賛する人は多いし、 現物を見たら考えが変わるかも知れない。 しかし、孰れにせよ、 私はあんなもの、 品が無いと思う。 少な…

△▽∴ 109. ∵△▽ 鴫肩衝と天目

「肩衝」とは「肩が張っている炉釜」のことである。 この場合。「茶容れ」の意味を指す場合もある。 そして、「天目茶碗」といえば即座に 国宝であるミリタリー仕様の『曜変天目茶碗』 を想い浮かべるのが現代日本人の常である。 .

『 女王の白天目 』

△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵ . 『 鴫立つ沢の秋の夕暮れ 』 ∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽ . .

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△▽∴ 98. ∵△▽ 住吉屋宗無、伊丹屋宗不も

前者、今井宗久が大切にした物は 「尺八の花筒」という。 〈ますます怪しいッ!〉 .

△▽∴ 97. ∵△▽ 欲深さ?

「貧乏」は不適格にしても、 ともかく「執着しすぎ」である。 そりゃ「千利休使用」だとか 「千利休由来」と付けば “プレミア物”は間違いないだろうが。 .

△▽∴ 96. ∵△▽ まるで偽善!

この少庵にしても、 先述の今井宗久でも、 高が竹筒、 どこでも取れるような そのようなもの、 いくら茶道が侘び寂びと雖も、 いくら何でも貧乏ったらしいのではないか? .

△▽∴ 95. ∵△▽ 糸目に付ける金

この所謂「弁慶の引き摺り鐘」 を連想して少庵は割筒を 「園城寺の花筒」と号し、 割れ目ちゃんを金粉で塗り潰した。 〈何だか怪しいプレイみたい!〉 .

△▽∴ 94. ∵△▽ いがみ合い、掴み合い、兵器で殺し合う、“徳高き僧侶”たち

この武蔵坊弁慶は、 比叡山と三井寺(=園城寺〔オンジャウジ〕)とが抗争中に、 三井寺から俵藤太秀郷由来の梵鐘を 引き摺って比叡山に持ち帰ったけれども、 撞いてみたら鐘らしい音がせず、 ただイノー・イノーと鳴った。 「出にたけりゃ出ねぇ!」と 弁慶…

△▽∴ 93. ∵△▽ 紀伊田辺から出た偉人たち

さて私は先日、 極寒の田辺を旅行してきたが、 田辺が南方熊楠の生地であると同時に、 武蔵坊弁慶の出身地であることは (またその父、熊野弁当の湛増の) 長らく失念したまま放っていた。 が、紀伊田辺駅に降り立って 最初に目に入ったのが そのことを示す…