2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧
アルフォンス・ル・サージュの『宝石詩』、 アルベルトゥス・マグヌスの『鉱物論』を経て、 コンラート・フォン・メーゲンベルグ(1304〜1374)の 『自然の書』では イスラム王でもあった魔術師ゲテル(=テテル)の著作に言及し、 砂漠を放浪うヘブライの民…
1372年に没したジャン・ド・マンドヴィルの 『14世紀の宝石詩』ではピュロス王も アポロンも現れず、 神話の記憶を留どめてはいないようだが、 ブローチの「カメオ」は賢王ピュロスの 指輪がモチーフ/オマージュだ。 .
11〜15cには多種多様な異本の現れた マルボードの『宝石詩』では プリニウスそのままの引用だし、 .
A.D.227年以前の偽プルタルコスは、 クテシフォンの『植物論』や アリストブロスの『石論』、 メンデス人トラシュロスの『悲劇物語』・ 『トラキア人たち』を総合した『大河論』の中で、 「人間の形をしたリボン状水晶」を揚げている。 .
A.D.230年頃のC・J・ソリヌスは、 「それは瑪瑙のクオリティ次第なのだ」 と説く。(『碩学』において。) インド産の瑪瑙であれば森や動物を描くし、 神々の母が浮かび出て見える「オートグリフ」に、 男たちの姿を現す「フィラデルフ」。 .
セイレーンの姿を呈したパロス島の大理石(36節#4)、 割ると掌や棕櫚の葉の現れる・ 若きポンペイウスを名将カエサルが打ち負かした ヒスパニアのムンダ近郊の石(36節#29)、 太陽や月を内に含んだ「アステリア」(37節#47)、 竪琴を手にしたアポロンと9…
そう、第二章の「絵のある石」の話だった。 瑪瑙〔メノウ〕や大理石の人為的な画像の見出せる物を 「gamahé」〔ガマエ〕というが、 紀元前の古代からそういう見立ての伝統はあったようで、 我らのプリニウスにはしっかりと記述されている。 〈まあ、当然とい…
視覚と精神の逸脱を巡る総合的研究である、 私の著作の中ではそういう一切の前提条件を外し、 素直な気持ちで眺めてもらいたい。 …と序文において吐露るバルトルシャイティスは、 第一章で近代に流行ったトムソンの形態学以前に 滔々たる「観相学」があった…
科学的な偏見によって“真理”から遠ざかってしまった、 第一級の名声を得ている哲学者・碩学・作家・芸術家たち。 ひとたび思弁の領域に突入してしまうと、 “思考のアクシデント”というだけでは済まない。 “形而上的な真理は仮面の真理である”のに… これらは…
「マーブル模様」といえば、 種村季弘と巌谷國士が共訳した、 謎多き美術評論家である 「ユルギス・バルトルシャイティス」著作集の 第一巻『アベラシオン』 〈また「シオン」だ! 荒俣宏の『レックス・ムンディ』といい!〉 の第二章「絵のある石」に豊富な…
この税務の申告季節になると 「日計式簡易帳簿」と付き合わざるを得ないし、 小口のマーブル模様を見つめて 記憶の飛んでいるような朝を 迎えることもある。 .
どんどんどんどん主題・本道・本堂から外れる。 「真理」は永遠に差延される、 『ゼノンの矢』の如きラビリントスなのか? いや、『ネグレスコ・ホテル』までは24時間南へ 走らせれば到達するくらい百も承知だ。 え、50マイル? ↓ ↓ 正解は、以下のカラオケ…
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 “マーブル美術館”だった、ルーブル美術館 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
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そして利休は、 花を斬って、腹を切らせられた。 ↓ ↓ 利休ール呑んで気ィ直して下さい。 .
つまり、 “熾烈な粋合戦” が繰り広げられて、 秀吉が権力を笠に “反則勝ち”したような 所がある。 .
世人はこれを 「花を愛でることを知らぬ冷酷な態度」 であるというし、 桑田忠親は「児戯に等しい」 と判じている。 《桑田忠親『定本 千利休』p167》 .
てやんでい、ばーろーめい! とでも云わんばかりに、 すぐさまこの“不純物”をどけ、 捨て去るように扱っている。 .
「野菊」といえば「白」である。 伊藤左千夫に倣えば「純白」であろう。 我々の所謂「素人考え」で見れば 「結構まあまあな取合せ」ではないか? …と思うが、 利休はこれを許さなかった。 .
幸い、利休の用意した「紹鴎の天目」とは 「白天目茶碗」であって http://www.izu.co.jp/~tatami/nenpyou/jouou.htm 「黒い二つの容器」という シックな取り合わせでは無かったようである。 つまり「ダークグレーの鴫肩衝」と、 「茶に白の混ざった天目茶碗…
あの、真っ黒な地に、 青白いマダラ模様のあれは、 私には「ペイント柄のジーンズ」を想わせられて、 何だか嫌である。 勿論、大絶賛する人は多いし、 現物を見たら考えが変わるかも知れない。 しかし、孰れにせよ、 私はあんなもの、 品が無いと思う。 少な…
「肩衝」とは「肩が張っている炉釜」のことである。 この場合。「茶容れ」の意味を指す場合もある。 そして、「天目茶碗」といえば即座に 国宝であるミリタリー仕様の『曜変天目茶碗』 を想い浮かべるのが現代日本人の常である。 .
△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵ . 『 鴫立つ沢の秋の夕暮れ 』 ∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽∴∵△▽ . .
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前者、今井宗久が大切にした物は 「尺八の花筒」という。 〈ますます怪しいッ!〉 .
「貧乏」は不適格にしても、 ともかく「執着しすぎ」である。 そりゃ「千利休使用」だとか 「千利休由来」と付けば “プレミア物”は間違いないだろうが。 .
この少庵にしても、 先述の今井宗久でも、 高が竹筒、 どこでも取れるような そのようなもの、 いくら茶道が侘び寂びと雖も、 いくら何でも貧乏ったらしいのではないか? .
この所謂「弁慶の引き摺り鐘」 を連想して少庵は割筒を 「園城寺の花筒」と号し、 割れ目ちゃんを金粉で塗り潰した。 〈何だか怪しいプレイみたい!〉 .
この武蔵坊弁慶は、 比叡山と三井寺(=園城寺〔オンジャウジ〕)とが抗争中に、 三井寺から俵藤太秀郷由来の梵鐘を 引き摺って比叡山に持ち帰ったけれども、 撞いてみたら鐘らしい音がせず、 ただイノー・イノーと鳴った。 「出にたけりゃ出ねぇ!」と 弁慶…
さて私は先日、 極寒の田辺を旅行してきたが、 田辺が南方熊楠の生地であると同時に、 武蔵坊弁慶の出身地であることは (またその父、熊野弁当の湛増の) 長らく失念したまま放っていた。 が、紀伊田辺駅に降り立って 最初に目に入ったのが そのことを示す…