2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧
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アフィリエイトも広告収入も 誘導バナーもSNSも頭打ちで、 マガシークやサマンサタバサ など一部の例外を除いては もはやITソリューションもデジリテもユビキタスもロボットも燃料も 先の見えない時代に突入したが、 ハッキリしているのは誰の為の世界で・ …
ケン・ウィルバーは もうじき超自我の時代が来る。 と宣言したし、 そうでなくとも幾人かの経済学者たちさえ 流通→情報→そして、 精神世界の時代に突入する。 と予言した。 .
なるほど、グロバの彼らは必死で桁魂しく、 せっせせっせと能力を発揮し・ 生産していくだろうが、 それで人生を終える。 彼らは例えば平均寿命の77歳まで生きたが、 自分の人生はついぞ生きなかった。 勿体ない。たった一度きりの人生なのに。 〈まるでエン…
そして可解な全てが卑しい。 卑しすぎる! .
いやぁ、『悪』自体とても軽率なものばかりだ。 フライフィッシュじゃ把握されないから、 各人の速度(・リズム)に応じ、 かつサンプリングされた一定域のみを取り扱い、 裏も影もない。 だから畢竟キレイゴトのバリエーションでしかない 『邪宗』など最早“…
ルサンチマンはサヴァンに云いました。 ノルマだよ! 決まってるぢゃぁないか! .
民主主義とは為政者が描いた 『餅のポスター』であり、 ルサンチマンによる、ルサンチマンのための―― 以下同文である。 .
ジャック・デリダの『侵犯』が 仮に『愛』のことを指名したベクトルだったにせよ、 〈ベクターデータ→サーフェース→テンソルを形成!〉、 この『物品』のような猜疑心は 畢竟安っぽいルサンチマンでしか無い。 まあ最大、フロイトのリビドー; 感官のエロだ…
良くも悪しくも、 我々の知恵も意識も善意も人格も全て、 TVの模倣である。 地下鉄〔メトロ〕の中の 中吊り広告である。 閉鎖系で、 底なしにしょーもない。 世の善人の底など浅いのだ。 除外されてしまう例外データでしかない。 ――「あなたはTV?」 「…
これらは共通している。 これらは『情報』のように“軽い”のである。 そして/或は『愛』のように“軽薄”だ。 .
もはやノスタルジーでもないのである。 或は忘我のセクシャル・エクスタシーや、 ニッチやコア、オタクなど独善〜利己的な エンスージャスト(=熱中)でも駄目だ。 そんなものでは我々は救われない。 .
『ALWAYS 三丁目の夕日』だって、 最初こそは驚いたけれども、 地上波などで繰り返し見る毎に 吉岡秀隆の演技の芋さ・オーバーさが目立ってくるし、 古武道の達人である堤真一自体は佳い俳優なのだが、 短気な江戸っ子気質の親父を演るには 武骨さ・低俗感・…
と同時に彼らは古びないし、 コブクロやゆずは聞くに及ばない。 良くも悪しくも、 我々は「聖子ちゃん」に歓喜し・ 『カナリー』に落涙してしまう 森口博子なのだ。 A Hundreds Birds(のTeN)によってコピーされた 山口百恵の『さよならの向こう側』が 店や…
なんで 努力して特化・異化してきた 矢沢永吉や・松任谷由美は受けないし、 懐かしい。 .
「チャー」竹中直人の“たむけん”は自然体で、 捻りが無く、変哲でない。 よって決して面白い訳ではないのだが、 現代では好評を得る。 .
しかし何故、 俗悪であることをさも正道であるかの如く、 自慢できるのか? .
悪政で余裕が無いから無理もなく、 表象イメージへのポーズでしかないからだ。 ポリシーから滲み出てくる本物では ない故だ。 .
しかし世上の善は薄い。 仮にそれが偽善を突破していようとも、 その向こうがすっきりしている。 奥行きが無い。 熟語や構文のように 短いセンテンスで、 転じたり・壊れたりしやすい。 その場かぎりの、 気まぐれなものでしかない。 まるでドゥルーズ=ガタ…
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 パイ乙+乳=パイティティ 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
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かのレーニンは ベートーヴェンの 『熱情ソナタ』を聞くと 仕事が出来なくなる、 悪人になれなくなる、 と避けた。 なんて逸話も出てくる。 『アパショナータ』。 さっそく買っちゃったぢゃねえか、 こん畜生! .
フローリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマークの 『善き人のためのソナタ』が ちょっといい。 〈もう少し編集し・裁断した方がいいが。〉 〈裁縫ハサミでギザギザに切るナデシコのように。〉 西欧版で・しかも大人向けの、 これはまるで『小僧の神様』だ。…
物語性も強く、実にいい。 但し物語性でいえば、 『愛より強く』に続いて 似たような役作りしか出来ない 時代遅れの無能俳優; ビロル・ユーネルの 『トランシルヴァニア』等々よりも、 .
そのパーシー・アドロンの、 そしてk.d.ラングの『サーモンベリーズ』 のような、いや、それでいてもっと極北の エスキモー譚では何故か“柔ちゃん”; 谷亮子そっくりの女優が出てくるし、 その毅然たる美しさが了解されてくる。 人類学・民俗学ファンなら下…
辛うじてその足元を 小犬のように這い回るのが、 ザカリアス・クヌクの 『氷海の伝説』 であった。 .
しかしこの無上のソクーロフさえ、 ミヒャエル・ハネケの足元にも及ばない。 ミヒャエル・ハネケは神である。 今でこそ痴れた二流の監督だが、 『71フラグメンツ』や 『セブンス・コンチネント』の頃の 初期の彼こそが 視聴覚体験の限界を踏み破っていた。 .
そしてカルロス・サウラの 『カルメン』辺りで極まって、 最新の例である、 アレクサンドル・ソクーロフの 『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』において もはや聴覚のみに留どまらず、 視覚と連動させた上でしかも 婦夫の情愛感まで余さず表出させるという、 …
その次がやはり『カサブランカ』の ドイツの「ラインの守り」vsフランス「ラ・マルセイエーズ」の 掛け合わせであろう。 .
中で、音楽の掛け合いがある。 あっさりしているが、 私の知る限り(全くタイプの異なる異質な曲を) “リミックス”し(て成功させ)た最初の例である。 .