2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧
.. ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ .. ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
う〜ん、 . さうだ。 貧乏クジを引いてやるぅぅうう〜ッ! .
我々はp112に差し挟まれた#18; アンドレ・ケルテスの『エルネスト』という 1931年に写された 教室の中の少年の、 快活そうな確かな眼差しで この空想を代行させられる。 .
かの、 家族一同を重鎮にしていった、 まるで秀吉みたいな皇帝は…、 いやその甥っ子は、 /いやその甥っ子の眼は、 必ずやナポオレオンを見つめたに 違いないのである。 .
ジェローム・ナポレオンの眼を 写真で見て、 いつまでも・いついつまでも、 忘れられずにいた。 .
ロラン・バルト。 ――やはりバルト3国だった――。 この記号学の創始者/大家は、 まるで『テディ』の蜜柑の皮のように、 ――サリンジャーのそれは海中に沈んでいく――、 .
↓ ↓ 〈タルコフスキーは「あんな鳥カゴ生活!」と貶した。〉 ↓ ↓ 〈肉体的・物質的に近接する分、精神は疎遠になり、 . まるで磁石のようだ。 . ほんたうは我々は似ているのである。 . 統一規格の高度な授業・教育を受け、 ――『ストーカー』ではサンザな謂わ…
これらの区分は一体、 “外在的”なのだ。 余所者。 他人事。 ↓ ↓ 〈デジリテの侵攻によって益々肩身の狭くなる文明人のようだ!〉 .
写真とて、 「プロ」「アマ」「風景」「静物」「肖像」「ヌード」 「レアリスム」「ピクトリアリスム」… なんて分類する行為は殆ど無意味である。 .
アンドレイ・タルコフスキーは 自分の作品をいかなるジャンルか? 問われたり・それについて考察することを 非常に嫌ったが、 .
上滑りをしていく語群。 彼は何も云わない。 語るのは写真である。専ら。 写真について語ることは出来ない。 .
写真を差し出す男。 「ね?」 「ほら。」 「これですよ。」 「そうそう。」 「ほら、こちらが私の兄弟で、そちらが子供の私です。」 : : : .
梵語の「如実」は「tathata」で、 幼児が何かを明示する際、 やはりこれに酷似した喃語をいうのだ。 .
例によってワッツだったか、 ラカンだったか、 バルトだったかを読んでいた。 .
でも、入社したての若い衆からはやはり 「多田さん、多田さん」と呼ばれた。 私はその反復を貴重な物を聞くかのように いささかウットリしていたものである。 .
彼の本名は「多田」氏といった。 いや、確か本名ですらなかった。 彼には戸籍がなく、 拾われたチンピラに仮に そう名づけられたに過ぎなかった。 .
私が今から記録する一人の男は 「デーダラ」と呼ばれていた。 図体がデカイわけではない。 そうではなくて、 ペンの先でチョンチョンッと突いただけ のような小さな目と、 マッコウクジラを彷彿させるような 奇抜な頭の形 ――だからボリス・カーロフのフラン…
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 ナニ系ってか、ナ〜ニWHO? 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
.. ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ .. ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
勿論、『ナウシカ』は これのモジリアーニだろうけれども。 .
多分まだ“その時”は来てないし、 本当は既にどこかで見ていて、 蓋を開ければ評論/コメンタリーを 寄せた事さえある 有名監督の そこそこメジャーな作品だった、 なんてことなのだ、どうせ。 毎度の如く。 .
このライナー・ノーツには、 「真っ当な者だけに応える鐘のある谷」 の映画の話をしている。 猛烈に興味が沸いてあちこち探したが、 もう半世紀以上みつけられずに居る。 .
この手の 「形而上学的相対性理論」 ――今日は引用が多そうだ!―― なくして、 なんであのラヴェルが 「蛾・悲しき鳥・海辺の小船・道化師の朝の歌・鐘の谷」 を以て『鏡』と題したのか、 誰か説明が付くだろうか? .
片手の鳴る音や、いかに? と禅では問うた。 し、J・D・サリンジャーは これをエピグラムに弾いた。 .
「虎の巻」や「アクセラレータ」で、 一夜にして荒俣宏にはなれないものなのである。 だから全ての情報は各人なりにしか理解しえないし、 各人の理解の方が話者や筆者を上回ることだってある。 .
もっと簡単にいうなら、 “鏡像”なのである。 我々は他人にオシッコを代わってもらえぬが、 同時に世界認識だって1合目から自分で登るしかないのだ。 .
だが、 そこにあるものは畢竟 「擬人化」や「寓意」 作用でしかあるまい。 .
故に意味深。 「本当は御先祖様なのぢゃないか?」 〈その生れ換わりぢゃぁ…?〉 とか、 暫しの感慨を余儀なくされる。 .
そして動く存在を感じ、 彼らを見つけた時、 彼らは“視線が合ってから” 動く。 .
しかも何故だか こちらの視線が 彼らに気づくまで わざわざ目立つ所で じっと待っていたりする。 .