2006-04-01から1ヶ月間の記事一覧

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▲▼∴ 15527. ∵▲▼ 眼が痒い! 何の花粉?

う〜ん、 . さうだ。 貧乏クジを引いてやるぅぅうう〜ッ! .

▲▼∴ 15395. ∵▲▼ 弓矢のように犬を弾く性根ンと

我々はp112に差し挟まれた#18; アンドレ・ケルテスの『エルネスト』という 1931年に写された 教室の中の少年の、 快活そうな確かな眼差しで この空想を代行させられる。 .

▲▼∴ 15253. ∵▲▼ ボナパルト/ルイ/ウイ、まだ無。

かの、 家族一同を重鎮にしていった、 まるで秀吉みたいな皇帝は…、 いやその甥っ子は、 /いやその甥っ子の眼は、 必ずやナポオレオンを見つめたに 違いないのである。 .

▲▼∴ 13999. ∵▲▼ ジェローム・ジェロームとチェッ労務

ジェローム・ナポレオンの眼を 写真で見て、 いつまでも・いついつまでも、 忘れられずにいた。 .

▲▼∴ 13989. ∵▲▼ マルメロといい洋ナシといい、ミカンにしても、果物は実に絵になる。カゴの中の静物に限らず、翳り気味の陽光の下でも〈勿論〉。

ロラン・バルト。 ――やはりバルト3国だった――。 この記号学の創始者/大家は、 まるで『テディ』の蜜柑の皮のように、 ――サリンジャーのそれは海中に沈んでいく――、 .

▲▼∴ 13943. ∵▲▼ 「NYで過ごす? いまイタリアだけどね。でもボグラ川沿いのザブラヂエが恋しいよ。」

↓ ↓ 〈タルコフスキーは「あんな鳥カゴ生活!」と貶した。〉 ↓ ↓ 〈肉体的・物質的に近接する分、精神は疎遠になり、 . まるで磁石のようだ。 . ほんたうは我々は似ているのである。 . 統一規格の高度な授業・教育を受け、 ――『ストーカー』ではサンザな謂わ…

▲▼∴ 13922. ∵▲▼ 四面楚歌なデジリテ&グローバリゼーション

これらの区分は一体、 “外在的”なのだ。 余所者。 他人事。 ↓ ↓ 〈デジリテの侵攻によって益々肩身の狭くなる文明人のようだ!〉 .

▲▼∴ 13891. ∵▲▼ セーラー服を脱がしたいピクトリア朝

写真とて、 「プロ」「アマ」「風景」「静物」「肖像」「ヌード」 「レアリスム」「ピクトリアリスム」… なんて分類する行為は殆ど無意味である。 .

▲▼∴ 13685. ∵▲▼ 「しいて謂うと『ストーカー』は寓話だと思う。SFじゃなしに…」

アンドレイ・タルコフスキーは 自分の作品をいかなるジャンルか? 問われたり・それについて考察することを 非常に嫌ったが、 .

▲▼∴ 13679. ∵▲▼ つるつる? たらたら? ともかく滑るスベル!

上滑りをしていく語群。 彼は何も云わない。 語るのは写真である。専ら。 写真について語ることは出来ない。 .

▲▼∴ 13668. ∵▲▼ 定時に提示して。今からじゃ残業じゃ〜ん?

写真を差し出す男。 「ね?」 「ほら。」 「これですよ。」 「そうそう。」 「ほら、こちらが私の兄弟で、そちらが子供の私です。」 : : : .

▲▼∴ 13659. ∵▲▼ でも、ドイツ語じゃ肯定!

梵語の「如実」は「tathata」で、 幼児が何かを明示する際、 やはりこれに酷似した喃語をいうのだ。 .

▲▼∴ 13638. ∵▲▼ 構造主義はフランスがお好き?

例によってワッツだったか、 ラカンだったか、 バルトだったかを読んでいた。 .

▲▼∴ 13631. ∵▲▼ なんでやねん?ってことは日常にいっぱい

でも、入社したての若い衆からはやはり 「多田さん、多田さん」と呼ばれた。 私はその反復を貴重な物を聞くかのように いささかウットリしていたものである。 .

▲▼∴ 13625. ∵▲▼ ただただ只々蹈鞴タタール

彼の本名は「多田」氏といった。 いや、確か本名ですらなかった。 彼には戸籍がなく、 拾われたチンピラに仮に そう名づけられたに過ぎなかった。 .

▲▼∴ 13619. ∵▲▼ Day+$er

私が今から記録する一人の男は 「デーダラ」と呼ばれていた。 図体がデカイわけではない。 そうではなくて、 ペンの先でチョンチョンッと突いただけ のような小さな目と、 マッコウクジラを彷彿させるような 奇抜な頭の形 ――だからボリス・カーロフのフラン…

『 名付け得ず、分類し難い、互いによく似たフィルムノワール 』

▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 ナニ系ってか、ナ〜ニWHO? 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .

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▲▼∴ 4877. ∵▲▼ 死の谷、風の谷、王家の谷…

勿論、『ナウシカ』は これのモジリアーニだろうけれども。 .

▲▼∴ 4876. ∵▲▼ 時は訪れ、夜の帳〔とばり〕は降りる。「ねえあなた、きょう泊りィ?」 〈ナニ期待しとんねん??〉

多分まだ“その時”は来てないし、 本当は既にどこかで見ていて、 蓋を開ければ評論/コメンタリーを 寄せた事さえある 有名監督の そこそこメジャーな作品だった、 なんてことなのだ、どうせ。 毎度の如く。 .

▲▼∴ 4875. ∵▲▼ どなたか御存知ありませぬか? → 御一報くだされ!

このライナー・ノーツには、 「真っ当な者だけに応える鐘のある谷」 の映画の話をしている。 猛烈に興味が沸いてあちこち探したが、 もう半世紀以上みつけられずに居る。 .

▲▼∴ 4874. ∵▲▼ 鏡の向こうの走馬灯〈と、美女にも野獣にも蛇蝎にも鬼畜米英にも成る、フランシス・ベイコンのような歪んだ自画像!〉

この手の 「形而上学的相対性理論」 ――今日は引用が多そうだ!―― なくして、 なんであのラヴェルが 「蛾・悲しき鳥・海辺の小船・道化師の朝の歌・鐘の谷」 を以て『鏡』と題したのか、 誰か説明が付くだろうか? .

▲▼∴ 4873. ∵▲▼ 公案

片手の鳴る音や、いかに? と禅では問うた。 し、J・D・サリンジャーは これをエピグラムに弾いた。 .

▲▼∴ 4872. ∵▲▼ ローマに王道なし

「虎の巻」や「アクセラレータ」で、 一夜にして荒俣宏にはなれないものなのである。 だから全ての情報は各人なりにしか理解しえないし、 各人の理解の方が話者や筆者を上回ることだってある。 .

▲▼∴ 4871. ∵▲▼ と、人心を失った現代人〈;名づけて「人心事故」〉 〈 ; →あ、巧くない? 巧くないときは指摘んでええよ!〉

もっと簡単にいうなら、 “鏡像”なのである。 我々は他人にオシッコを代わってもらえぬが、 同時に世界認識だって1合目から自分で登るしかないのだ。 .

▲▼∴ 4870. ∵▲▼ “人格”をもつ諸動物

だが、 そこにあるものは畢竟 「擬人化」や「寓意」 作用でしかあるまい。 .

▲▼∴ 4869. ∵▲▼ 魔女に変身させられたのかも…?

故に意味深。 「本当は御先祖様なのぢゃないか?」 〈その生れ換わりぢゃぁ…?〉 とか、 暫しの感慨を余儀なくされる。 .

▲▼∴ 4868. ∵▲▼ 「待ってたねん、ハイハイ、よお見とき。動くでぇ〜!」

そして動く存在を感じ、 彼らを見つけた時、 彼らは“視線が合ってから” 動く。 .

▲▼∴ 4867. ∵▲▼ 〈ねえお願い、こっちを向いて!〉 《Buongiorno Principessa! 『ライフ・イズ・ビューティフル』のベニーニのショーペンハウエルのように、手招きまでして》 〈でもやっぱ多くの人はラストの戦車からパパが現れるものと考えたし、そんなハリウッド的オネエ考えをピシャリッとやった所にロベルトのメッセージが込もってはいるものの…、→ でもやっぱり挿し替えたくなる!〉

しかも何故だか こちらの視線が 彼らに気づくまで わざわざ目立つ所で じっと待っていたりする。 .