2008-01-01から1年間の記事一覧
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強いては、 クロード・レヴィ=ストロースの 『神話論理』や ミルチャ・エリアーデの 『シャーマニズム』で明からめられたやうに、 空中は海上の敷衍であった。 ――それを熟知してから二荒山や 補陀洛の渡海を語れ! 陸の上から騙ろうとするな!――。 ホイヘン…
『天平の甍』の遣唐使たちもそうだし、 空海や雪舟もそうである。 あるいは丸木舟の縄文以前からずっとそうだ。 網野善彦が指摘した通り、 海洋交通は一般的だし、 〈その体感までもは要求しないにしても〉 その視点・視線を失っては 歴史など語れ得まい。 .
海底では地続きなのに、 表面水に基づく幻想に過ぎないのに、 にも関わらず、 海に出た途端、 水子の霊や重圧から一切、 解き放たれる。 .
海に出るとやはり あらゆる柵から 解き放たれる。 陸地を離れたのだ。 もはや後戻りは利かぬ。 .
それよりも何よりも、 というか、古来の海洋交易、 引いては 海の浄化力に 回転裏拳を構すような瞬発で 言及したい。 .
地上12mや14mの高台の上で 仮面を付けて暴れるなど、 暫時的の一過性のものに過ぎず 他は誤魔化し誤魔化し、 倦怠な神事で終わるのかと思いきや、 梯子中段で飛び降りたり、 グラグラ暴れたり、 滑り台のように落下してきたり、 そしてまた登って行ったり…
この秋祭シーズンに 知多の朝倉や その付根の豊明・大脇で行われる 梯子獅子はハンパなく アクロバティックである。 .
地続きか、 そうでないか。 ――「バナナ・ダイエット」で店頭から消える南洋果実。 また安易なブームを批判する世俗の 安易な良識たち。 金融不安に一言してギャラ貰おうって手合。 もう、もう、たくさん――。 .
KICK☆もブログを書けば 峰岸徹もブログを書き、 緒方拳や三浦和義と共に 死んでいった。 ――私は虹組キララ(ツッコミが遅〜い!)や 亀子のぶお(キモイ〜! メタボ・チアガール?)、 ジョイマン(変な踊り)や佐久間一行(賺し芸) が好きだが――。 .
また、ウェルニッケの39野と40野が鈍いと ディクレシアってしまうけれども、 言葉は生物には不自然な人工の 発明物・利器であるため、 全身を使ってトラウマる迄に 印象づければ次第に改善される、 つまりは治る病気・不全らしい。 .
しかし、泣くとは、 一部のチンパンジーと 一部のゾウにのみ許された 特殊な感情であり、 「過去の追憶」や「未来の憶測」 という秩序だった知性を必要とし、 つまりは言語中枢の反映現象だ。 .
世の中ではもっぱら 笑い→泣き の転換期である。 「お笑い」がそろそろ頭打ちなのに見切りを付け、 それで、の、 『泣ける曲』〜『深イイ話』なのだ。 .
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 出航の船出ディアスポラ 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
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山の谷を川が流れ、 海で蒸発して雲に… というエコロジーが 逆転展開されるのである。 .
『空海の夢』の後に読んだのが ヒットし過ぎたのかも知れない。 セイゴオのブログでも 小林忠の『墨絵の譜』がアップされてたけれども、 (;1264夜) こういうものを便縁〔よすが〕に 雪舟から長谷川等伯が縦横無尽?>> ライク・ア・ローリングストーンに…
大概のスリリングはその程度で勘弁してくれる。 が、何を意気込んだか今回のセイゴオ、 そこから更に読者に“沢登り”さえ強要するのだ。 我々は「ぷはは、水を飲んでしまったぁ〜」程度では 赦されない。 もう息つぐ間も無く、 連日の徹夜は必至である。 .
が、さすが、そこはセイゴオ。 箱庭的で手元存在的、 つまりは安全な壁絵レベルでは済まさない。 「雪舟」と 「雪村周継」・「雲谷等顔」、 「狩野三代;「元信」・「正信」と「永徳」 (といふ隔世相伝)、 「天下一統」と「画境社会」、 「禅僧から時宗、…
そう、松岡正剛の『山水思想 〜負の想像力〜』は、 舐めて懸かったらヒドイ目に遭ってしまった。 身体論の結末として当然、 実態の山水がそこでは語られねばならないのに、 奴は水墨画の話でお茶を濁そうという姿勢なのだ。 当然、「ふざけろ!」とおもう。 .
宙に浮く=空を飛ぶシーンがあるから 言うわけではないが、 こと『8・1/2』だけは一つの認識の地平を超えた 中空の奇跡的視点を有っている。 こんな神智的認識は極々少数の デイヴィッド・リンゼイや ミルチャ・エリアーデ、 そして『山水思想』の松岡正剛く…
私は一時ジュリエッタ・マッシーナの 『魂のジュリエッタ』の方があるいはスゴイ という判定を下そうか迷ったことがあったが、 確信のために『8・1/2』を観たら そんな暴言はとても言えなくなってしまった。 .
けれども、さうだ! フェデリコ・フェリーニの『8・1/2』は スバ抜けて過ご凄ぎる。 この秋、ついにデジタル・リマスターで甦り、 劇場でリバイバル上映される運びとなったけれども、 ことフェリーニの『8・1/2』だけは劇場で 繰り返し・繰り返し観るべき名作…
想えばデビュー作の『イレイザー・ヘッド』も、 “20世紀版の『アンダルシアの犬』”であった。 『イレイザー・ヘッド』や『エレファントマン』は、 それこそアレハンドロ・ホドロフスキーに 少し見劣りするだけの結構な幻想名作であるし、 遠いディスタンスを…
どうせ到達点;『マルホランド・ドライブ』の 余栄でしょーもない駄作をノミネートしてる だけだろうとしか考えていなかったので DVDでチャプター選択しながらなら恐らく跳ばし、 そのまま竟ぞ今生は拝まずに済んだに違いない。 それがバリバリの実験作で『…
115分の完き苦痛! いや、3分のみ除いて 「112分の完き苦痛!」 としようか? その例外の3分とは デヴィッド・リンチである。 クローネンバーグやヴェンダース、 それに中国人監督たちと共に まったく期待していなかったけれども、 “劇場”から巨大なハサミが…
『それぞれのシネマ』では、 「映画館での盗難」や 「懐古」や「落し噺」などなど、 重ぶった内容が(懸念されたやうに)やはり多く、 マノエル・デ・オリヴィエラも ジェーン・カンピオンも、 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥも ユーセフ・シャヒー…
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 沢登りの文学 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
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こんな奴らとスクラムを組んでは そりゃ保険金も無効になるは、 留学費用も投資の運用に流用されてしまうは、 返済されないばかりか、 そいつらを救済するために血税経由で 再投資されてしまうという、 二重三重の、 泣きっ面に蜂-状態。 閉塞どころではない…