2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧
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対立構造? いや、だから、ここで注意深く回避しなければならないのは、 ここでいう“対立”は単純な、 即ち「弁証法的“対立”」とは 全然別種のものであるということだ。 .
サルトルもLe pensée sauvageで “等質”ゆえ、 野生の思考を批判する資格を失うのである、し、 逆にいえばだからこそサルトルの哲学は 人類学者にとって「第一級の民族誌的資料」; =「稗史」なのである。 《『野生の思考』p300》 「エロスとタナトス」、 「…
そして、この単純な発想は、 最近代に「ミクロ-マクロ構造」を生んだし、 宗教とは自然法則の人間化だし、 呪術とは人間行動の自然化 《『野生の思考』p265》 の対立/共闘(?)だし、 ブルクハルトやシュペングラーの 「高給な歴史」ではなく・ ルノートル…
私は二つの条件を満たす還元方法しか正当と考えない。 (1).還元される諸条件の内容量を減らさないこと。 (2).現象の豊かさや、個性を支持・証明しうる充分量あつめたか? これはジャン=ジャック・ルソーの 人間の多様性は近視眼世界だ。 . & しか…
ゲームは全て規則の集合で規定され、 それらの規則は事実上無限な勝負を可能にする。 所が儀礼は同じようにプレーされながら、 調停や均衡を持たらすためのものであるため、 選択淘汰的で・限定的だ。 《『野生の思考』p38》 .
それでいて、 「無いものネダリ」は出来ない。 与件は我々のリアリティーなのだから。 つまり、神話を物にした生き方ってのは、 一種の知的な「ブリコラージュ」なんだな。 (;bricolage=器用仕事)。 《『野生の思考』p22》 .
ところで、 神話と共に生活する古代のありようは、 雑多に散らばった要素を当意即妙に チャッチャッ・パッパッと忽ち “御馳走”にしてしまうやりかたなんだな。 .
――ぜんぜん話は替わるけど、 彼らは結構タバコを服むんだな。 吸うんじゃなしにさ、 お茶のように煮出して、飲用するんだ。 彼ら呪術師はさぁ。 《ミルチア・エリアーデ『シャーマニズム』上p159・161》 ―― .
――『ネバー・エンディング・ストーリー』のようなものさ。 信じなきゃダメなんだ。 大切なのは心の持ちよう。 オマハ・インディアンは慰みには花を摘まないし、 彼らがシャボンユリを抜く場合や・ 東カナダのオンビアシー(=呪術医)が 草木の根や葉や皮を…
(正価を成立させる)商売じゃなく、 仲間内の「賄い料理」なら 跳んでもなく旨い料理を作る。 〈巻か綯い料理、う賄い?〉。 だが、常連さんに御指名を受けた途端、 この“魔法”は消えちゃうんだ。 凄いだろ? .
これが「bricoleur」となると 「器用人」である。 とはいっても、端からそう身構えた (体勢万全の)「玄人」ではなくして、 むしろ聊か「器用貧乏」のニュアンスをもつ、 頼り無げなエンスージャスト人(;熱中者)である。 彼らは有り合せで御馳走を作る。…
「bricoler」という動詞そのものが、 元からして「球技」だとか「玉突き」・ 「狩猟」・(ボールの)「バウンド」・ 「犬のさ迷い」・「馬の障害よけ」・ …等々を意味した。 つまり「イレギュラー」である。 「非-直線」、「不測の事態」。 .
ゲームは全て規則の集合で規定され、 それらの規則は事実上無限な勝負を可能にする。 所が儀礼は同じようにプレーされながら、 調停や均衡を持たらすためのものであるため、 選択淘汰的で・限定的だ。 《『野生の思考』p38》 .
彼らはフットボールを覚えたが、 両軍の勝ち負けが等しくなるまで、 何日も何日でも続けて試合をやる。 《『野生の思考』p38》 そこではゲームが儀礼として扱われたのだ。 .
急転直下で、 スタート地点に話を戻そう。 中沢新一が『精霊の王』で蹴球を引用し、 山川元が『卓球温泉』を描く前に、 クロード・レヴィ=ストロースが ニューギニアのガフク・ガマ族の サッカーを描写している。 .
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 Le carcajou 』 p60談;クズリは罠ぢゃちょっと捕まえられんな。あの鼬〔イタチ〕の仲間はな。しかも、罠にかかっている動物は勿論、罠それ自体まで面白がって持って行くんぢゃ。だから奴らを捕まえるにゃ鉄砲で撃たなきゃなん…
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ビクトル・エリセは 「ここには全てがある」 と感慨深げに呟く、 リュミエール作品集を観ながら。 《『エリセ・イン・マドリッド』で。》 .
この幼い死と、 見るからにちょっとしたことで まもなく死んでしまいそうな サタジット・レイの 『大地のうた』の叔母。 の、青木ヶ原での死。 .
この蛇使いの真似をして、 『河』の主人公の弟は 死んでしまう。 しかし、それでも尚、逞しく、 残った者たちは生きざるを得ないのだ。 .
腰紐を天空に投げて、 それを昇っていく芸なんて 懐かしいものまでもが出てくる。 また、蛇使いの笛吹きで 壷からコブラが…と思いきや、 小娘が出てくる。 〈そうでないこともある。 . ルドルフ・ヴァレンチノや . フリーダ・カーロ以上に . 眉毛の付ながっ…
オーストラリアのメルボルンから話が始まり、 巨大な人食いイカ「ボガ・テン」の出てくる、 ビング・クロズビーのこの映画には 当然のように地域錯誤があって、 .
20世紀前半の人類学の隆盛で明らかなように、 エキゾティシズムはしっかり求められて、 『アラビアン・ナイト』なんてそれこそ何度も撮られているし、 チャールズ・バートンの・アボット&コステロ主演の 『凸凹猛獣狩』や・ ハンフリー・ボガートの『アフリ…
ちなみに、斯の名匠サタジット・レイも 撮影にスタッフ参加した ジャン・ルノワールの『河』では、 『大草原の小さな家』のローラを想わす 三枚目の少女が母親に 美醜の不公平さを同意してもらおうとすると、 「“醜い”なんて、無いわ。 ' みんな可愛いもの。…
――ラウラ・デル・ソルに良い勝負なのが、 もはや向かうところ敵ナシな迄に 『少女の髪どめ』において“映画”を極めた アジッド・マジディのこの作品のヒロインである、 ザーラ・バーラミである。 ジャケットが彼女のアップだが、 強烈だ。 しかし、虐げられた…
――私はカルロス・サウラのダンス映画が大好きだが、 『セビジャーナス』は『フラメンコ』で大成しているし、 ――私と天本英世が大好きな・しかし親友の サルバドール・ダリに冷たく貶された ガルシア・ロルカが原作の歌劇――; 『血の婚礼』は結局『カルメン』…
――『CODE46』や『マイノリティー・リポート』、 あるいは『モーヴァン』〈もうオバン?〉の、 サマンサ・モートンなんかも同様である――。 .
――『スパイダーマン』のヒロインで、 おすぎ&ピーコ〈デラ・ミランドラ〉達が襤褸糞に貶した キルスティン・ダンストも、 何故だか私は可也タイプである――。 ――おすぎ&ピコ・デラ・ミランドラを 「お説、一々ご尤もです」と 同意しながらも――。 .
――チャウ・シンチー物でも、 『ハッスル・キング』の「水蓮」役のチンミー・ヤウ (邱淑貞)が圧倒的に綺麗なのだけれども、 『ラッキー・ガイ』で何故かチビマルコに扮する 〈「アウン・サン」じゃない→って酸っぱい?〉 スー・チーの変なラジオ体操も堪ら…