2006-04-04から1日間の記事一覧
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勿論、『ナウシカ』は これのモジリアーニだろうけれども。 .
多分まだ“その時”は来てないし、 本当は既にどこかで見ていて、 蓋を開ければ評論/コメンタリーを 寄せた事さえある 有名監督の そこそこメジャーな作品だった、 なんてことなのだ、どうせ。 毎度の如く。 .
このライナー・ノーツには、 「真っ当な者だけに応える鐘のある谷」 の映画の話をしている。 猛烈に興味が沸いてあちこち探したが、 もう半世紀以上みつけられずに居る。 .
この手の 「形而上学的相対性理論」 ――今日は引用が多そうだ!―― なくして、 なんであのラヴェルが 「蛾・悲しき鳥・海辺の小船・道化師の朝の歌・鐘の谷」 を以て『鏡』と題したのか、 誰か説明が付くだろうか? .
片手の鳴る音や、いかに? と禅では問うた。 し、J・D・サリンジャーは これをエピグラムに弾いた。 .
「虎の巻」や「アクセラレータ」で、 一夜にして荒俣宏にはなれないものなのである。 だから全ての情報は各人なりにしか理解しえないし、 各人の理解の方が話者や筆者を上回ることだってある。 .
もっと簡単にいうなら、 “鏡像”なのである。 我々は他人にオシッコを代わってもらえぬが、 同時に世界認識だって1合目から自分で登るしかないのだ。 .
だが、 そこにあるものは畢竟 「擬人化」や「寓意」 作用でしかあるまい。 .
故に意味深。 「本当は御先祖様なのぢゃないか?」 〈その生れ換わりぢゃぁ…?〉 とか、 暫しの感慨を余儀なくされる。 .
そして動く存在を感じ、 彼らを見つけた時、 彼らは“視線が合ってから” 動く。 .
しかも何故だか こちらの視線が 彼らに気づくまで わざわざ目立つ所で じっと待っていたりする。 .
もっと影でチョロチョロ やっていればお互いの利益なのに、 愚かしいとしか思えぬ行動。 .
それで2回に1回は実際、 蠅叩きや・スリッパや・新聞を丸めた物で 憎しみを込めて 叩き殺される。 .
そう、彼らは何故か “見つかるために” わざわざ明るみへ出てきた としか思えない行動をすることがある。 .
我々だってよくゴキブリや ハエなどの害虫に対して ある種の神格化した ――神話化作用した―― 畏れ多い神威的存在として 彼らを扱うことがある。 .
この前の「煙」(に好かれる男) もそうだが、カスタネダの蛾には 人格があって意地悪をする。 .
「夜の、羽ばたきをする蛾」 がモチーフだそうだが、 寧ろ私は『エミリー・ローズ』の 弁護士が資料に持ち来る カルロス・カスタネダの 修行トリップ時の蛾を想わされた。 .
ラヴェルの『鏡』は「蛾」「悲しき鳥」 「海辺の小船」 ――Dhingy 〔ディンギー〕!―― ――それは松田聖子とJ・D・サリンジャーの!ー―― ――『白いパラソル』と『小舟のほとりで』―― 「道化師の朝の歌」「鐘の谷」 の5部構成。 で、1曲目は「蛾」。 http://w…
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 ・道化師の朝の歌・鐘の谷 』 〈「鑑賞・鑑賞」云うが、元々は無門関のような鑑の精査である!〉 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .