2015-08-15から1日間の記事一覧
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近代主義者たちは、血塗られた民族主義を 避けて通った。日本ロマン派を倒したのは 外の力であり、それを我が物と錯覚できたが、 血は清められなかった。日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)作者: 松本健一出版社/メーカー: 岩波書店…
スペインは先づ宣教師を送る。 次に軍隊を送って占領する。 .
西田幾多郎の京都学派は、 日本史を形作るに過ぎなかった日本人に、 世界史の哲学を担い、 世界を形作るのだ、 という幻想を与えた。 .
斎藤隆夫; 青年将校たちの国際社会を変革する思想は 余りにも単純ではないか! 国家社会を見る見方は余りにも 狭隘ではないか! .
「統帥権干犯」を政治を金縛りにする呪文にし、 統帥権を魔法の杖にしていったのは、 鳩山一郎や森恪だったのである。 幣原喜重郎は内閣の輔弼に徹しただけ。 .
北一輝の『霊告日記』に、 副島種臣や明治天皇・乃木将軍が現れ、 兵馬大権=統帥権が言及される。 .
満州事変が侵略行為であることは、 当時すでに国際常識化していた。 アメリカの国務長官スチムソンは 「関東軍の独走」であると見、 「支那ニ関スル9ヶ国条約」などの 国際法違反であると即座に批判した。 .
満州事変の3年前、アメリカの国務長官と フランスの外相が成立させた ケロッグ&ブリアン協定=不戦条約は、 対外政策としての戦争の放棄、および、 紛争処理は平和的方法を採る、 ということが打ち立てられた。 .
軍は天皇の統帥権の元に有り、 政府はこれを干犯することが出来ない 関東軍は、陸軍大臣および陸軍中央部さえ 政府の一部と見做し、 外部者扱いしたのだ。 .
大東亜戦争の発端である満州事変にある というのなら、第一の戦争責任者は私だ。 なぜ私を裁かない? と石原莞爾は東京裁判で裁判官を 詰問した。 .
孫文の大アジア主義を歴史的問題意識に したのは竹内好だった。 しかし戦後20年も経っており、 リアルタイムから40年。 しかし中野正剛がほぼ同時代批判を やってのけていた。 ――宮崎滔天のアジア主義や、 頭山満のナショナリズムへの好意から、 松本健一が…
石橋湛山はこれを否定。 青島の領有も、対支二一箇条も、 否定した。 .
大隈重信政権、袁世凱政権に21ヶ条を 要求し、ほぼ丸呑みされる。 アメリカは不同意。 .
満川亀太郎も北一輝も「勝てる筈がない」 と断じた。 戦犯裁判時に発狂してしまう大川周明は 別だった。 .
しかし、これがアメリカに敵視させる 原因となる。 しかし日本では海軍こそアメリカを敵視すれども、 陸軍は飽く迄もロシアを想定した。 .
文明国として認められるためには、 軍国として戦勝しなければならなかった。 アメリカは1898年の米西戦争において、 日本は1904年の日露戦争において勝利し、 それが叶った。 .
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