×※×※ 36. ×※×※ 『幡山村誌』の記述
1992年に編纂された大学堂書店 の郷土誌;
『幡山村誌』(474p 27cm)によると
「武田信玄の置戌の塁なり」
とある。
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「置戌」〔チジュツ〕とは正解は「置戉」〔チエツ〕であり、
「戉〔まさかり〕を置く」意である。
但し、本場中国でもお構いなく「筑城置戌」「成都置戌」
「置戌屯田」と平気で記録しているので、
毛沢東の文化大革命以降このような誤記も多く、
文化の衰退が嘆かれるが、
地方の稗史編纂の徒の学識など、
過大な期待はしてはいけないという戒めと取ろう。
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〈但し、武田信玄は甲州八ヶ岳・西麓で「棒道」
. (=直線道路)に拘っており、
. そこで現れた人を食う妖怪;「送り犬」が
. 「置く犬」に転じたケースも考えられる。〉
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また、「塁」とは古代の「古墳」
に通じるような、
「土を重ねて造った小城」
のことである。
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故に、
「偃武の記念モニュメント」
もしくはやはり「墓」
のことを指しているものと
想われる。
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つまり「甲斐姓の森」だったのを
近代に当て字変換したものだ。
〈これで「カイショ」なんて
. ついつい「楷書」を連想しがちな、
. 変な読み方の説明も着く。〉
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