▲▼∴ 650375. ∵▲▼ スティーヴン・ジェイ・グールドも『神と科学は共存できるか?』考え編ぐねていた

どうしてその「前後関係」や「背景」
あるいは「影響」にまで想いを巡らせ、
然るべき「あるべきようは?」を
考えないのだろうか?
――「阿留辺幾夜宇和?」
   by明恵-最晩年(遺訓)――。
だいたい“誤用の錯誤”は、
「赤子の手を捻る」如き無法・卑劣である。
普通に走っている車とてハンドルを切って
歩道に乗り込めば何人も殺せる。
あるいはダガーナイフや出刃包丁などの刃物で
人を殴打すれば斬殺できてしまう。
利器を誤用しては倫理〔エチカ〕に悖ってしまう。
即効「失格」となるものだ。
これは翻り、自分本人を
切り刻んでしまう行為なのだ。
――『戦争』は内的に象徴交換されたのだ。
   保持され・生体濃縮さえされる
   闘争本能・悪意――。
――いや、だからこそ、『理性』による
   厳格な統御が必要な局面がある――。
履き違えてはならない。
左様、科学絶対主義に加担し、
リチャード・ドーキンスのように
『神は存在しない』と結論するなら、
それなら尚のこと、たった一度きりの人生、
もっと有意義に使うべきではないのか?
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