▲▼∴ 655987. ∵▲▼ 紀州大島の日米修好通商条約記念館には入れなかったが…

松岡正剛セイゴオ〕の『世界と日本のまちがい』
の第5講で、
中国の阿片戦争に続いて
イギリスに標的にされた日本には、
1778年の蝦夷地へのロシアの訪来を始め、
ラスクマンやブロートン、レザノフ、ヴォストフ、
フヴォストフ、ゴローニン、フェートン、ライラ、
アルセスト、モリソン、サマラン、アルクメーヌ、
ビッドル、プレブル、マリナー、プチャーチン
スターリング、ハリス、フィルモア、クルチウス、
…等々、実に100隻以上の“黒船”が訪れていたし、
幾度もの交渉の末に確定した日米和親条約
日米修好通商条約だった、
――という経緯が削ぎ落とされ、
一点だけに集約されてしまう性格のものではない以上、
この極端な胆略化は危い。
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