2004-10-30から1日間の記事一覧
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そのためには 物事を直截に受け容れるのではなく、 警戒しいしい不即不離で接し、 肝心の所で躱したり、 透かさず突きを入れたり、 日頃平生そうすることによって、 ――柔軟に―― 勘を鍛えろ! ということなのである。 .
そうじゃなく、 予め丸で“知っていた”かのように、 ことごとくを臨機応変に 最高の対応をしてしまえ! .
それを実践するためには、 「知識に偏重」し、 「俺は担当じゃないから」なんて 「体制に甘んじて」いては、 ことごとくの時機を逸する、 情けない自己満足層に“安住”してしまう。 .
そのとき姿勢が生まれる。 . ↓ ↓ それは――、 ちょっとしたことなどに動ぜず、 泰然自若として堂々たる自然体であると同時に、 . 真の危機には立ち動ける、 本当の「危機管理」可能な 「総合的人間」なのである。 .
――何のために? ――「結果」生産のために! .
知恵を持て。 そして 「情報」をデフォルメしろ! .
よって 普通に感想することは危険 なのである。 .
――そこで「前回の大地震」; . 「阪神淡路大震災」を振り返ってみよう!―― あの“破壊”の中心地において、 ――みんなが力を合わせて頑張り合った、 . あの健全な精神の後に!―― ――地球最高の美貌;あの「藤原紀香」サマですら、 . 震災の救難に駆け回ったッ!―…
今度の「中越地震」にしたって、 あの皆川優太チャン(2歳)だって、 エコノミー症候群や過労死35人の遺族だって、 あるいは住居=本拠をクチャクチャに破壊された 東風〔こち〕の吹く豪雪地帯;「小地谷市」や、 その深雪を越えて来なければならない「山…
いや、これを読んだあなたも実は“監視”されている! 既に“マーク”された! → 注意しろ! .
今回の「新潟県中越地震」にしても、 ――米軍発見の「後頭部に2発の銃弾の日本人遺体」―― 「香田証生のイラク誘拐&殺害事件」にしても、 ――戦国武将の妻たちは . 斬り落とされた生クビを洗い清め、 . 〈「気ショッ!」とか云わず〉、 . 夫の武功を心底よろ…
何故なら心理(という“符牒”)は . 罠であるからである! .
よって、 「 普通に感想していてはならない! 」 .
――つまり、 ――つまり、 ――つまり、 「 普通に感想していては術中に落ち入る! 」 のだ! .
よってウカウカなどしていられないし、 たとえ100円や100万だって、 ドブに棄てるわけには行かない。 ――いくらそれが「活き金」だろうが!――。 .
だが、あいにく我々は、 小っぽけな虫けらだ。 今日明日さえ食うに困る――。 .
ここで――ここにおいてさえ―― イエス・キリストや、 宮沢賢治のような、 傑出した聖人君子は、 まだなお信ぜよ! ということに違いないし、 彼らであればこそ、 今日においてもまだなお 通用することだろう。 .
しかし、それは社会が安定していて、 平和な時だけだ。 こうも世の中が荒れている時に、 他人など信じていては 「オレオレ詐欺」や その進化系の「義捐金詐欺」・「募金詐欺」に 騙されてしまうだけだろう。 .
奇を衒い〔てらい〕過ぎて失敗することもある。 素直な方がいいことだって。 .
『スター・ウォーズ』を見て、 持てる感想といえば、 「戦闘的な痛快さ」であろうし、 それによって(SF的な) 「想像力」が養われることだろう。 . だから、 「自分もSF映画を作りたい!」 と思うだろうし、 「もっとこのジャンルを研究したい!」 等々…
今日の『SW』;則ち『スター・ウォーズ』にしても 同断である。 『スター・ウォーズ』を見て、 “持てる感想”を持てば 単なる“凡庸”だ。 果たしてそんな無垢なことで ――呆けていて―― いいのだろうか? .
つまり、 我々の意識は操作されている! のだッ! .
これはもう少し、「保守性」という脚光を当てて 是非とも分析してみなければならない領域なのだが、 敢えてそれを今日は放擲して論考を継続すると、 「心理」・「感想」なんて予め凡そ見当の着くものである。 . 「タイトル」があり、 「監督・出演者」、 「…
例えば『 Roman Holiday 』;すなわち 『ローマの休日』(のオードリー・ヘップバーン)を見て、 万人は“感動”し、 「ああ、素敵だ・・・・・・!」 と韓流映画にも通じる素朴さに憧れ、 「あんな淡い(恋の)体験をしてみたい!」 と想うことは…
要は、 常にそういう形で、“姿勢”は現れている。 ということであり、 かくて、 「 一瞬=永遠 」 . 〈 逆もまた真! 〉 なのである。 .
判断なら、 いつだって可能る〔できる〕。 それは「アナムネーシス」(=想起)が、 「幼児体験」なのか、 「前世」なのか、 そんなことは詭弁であって、 “どうでもいいこと”である筈だ。 .
よってこれを戒めんがため、 ソクラテスは 「 思考して、“知識”偏重に落ち入るな! 」 との熱きメッセージを贈ったのである。 .
つまり「知識へ知識へ」 そして「もっと知識へ」への志向は、 単なる“甘え”であり、“差延”なのである。 .
よって「本質的」とは評価できない。 .