2008-05-03から1日間の記事一覧
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かのレーニンは ベートーヴェンの 『熱情ソナタ』を聞くと 仕事が出来なくなる、 悪人になれなくなる、 と避けた。 なんて逸話も出てくる。 『アパショナータ』。 さっそく買っちゃったぢゃねえか、 こん畜生! .
フローリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマークの 『善き人のためのソナタ』が ちょっといい。 〈もう少し編集し・裁断した方がいいが。〉 〈裁縫ハサミでギザギザに切るナデシコのように。〉 西欧版で・しかも大人向けの、 これはまるで『小僧の神様』だ。…
物語性も強く、実にいい。 但し物語性でいえば、 『愛より強く』に続いて 似たような役作りしか出来ない 時代遅れの無能俳優; ビロル・ユーネルの 『トランシルヴァニア』等々よりも、 .
そのパーシー・アドロンの、 そしてk.d.ラングの『サーモンベリーズ』 のような、いや、それでいてもっと極北の エスキモー譚では何故か“柔ちゃん”; 谷亮子そっくりの女優が出てくるし、 その毅然たる美しさが了解されてくる。 人類学・民俗学ファンなら下…
辛うじてその足元を 小犬のように這い回るのが、 ザカリアス・クヌクの 『氷海の伝説』 であった。 .
しかしこの無上のソクーロフさえ、 ミヒャエル・ハネケの足元にも及ばない。 ミヒャエル・ハネケは神である。 今でこそ痴れた二流の監督だが、 『71フラグメンツ』や 『セブンス・コンチネント』の頃の 初期の彼こそが 視聴覚体験の限界を踏み破っていた。 .
そしてカルロス・サウラの 『カルメン』辺りで極まって、 最新の例である、 アレクサンドル・ソクーロフの 『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』において もはや聴覚のみに留どまらず、 視覚と連動させた上でしかも 婦夫の情愛感まで余さず表出させるという、 …
その次がやはり『カサブランカ』の ドイツの「ラインの守り」vsフランス「ラ・マルセイエーズ」の 掛け合わせであろう。 .
中で、音楽の掛け合いがある。 あっさりしているが、 私の知る限り(全くタイプの異なる異質な曲を) “リミックス”し(て成功させ)た最初の例である。 .
ペテロも出てきて 何だか場に居合わせたような興奮を得られる、 この凄い話が、 美智子妃殿下第一愛読書である 『クォ・ヴァディス』である。 ――「主よ、何処に行き給ふか?」――。 .
愛妻のユニスも伴った。 その穏やかなる憤死の晩餐席に かのセネカも座り会っていた。 .
古代の破天荒物語『サテュリコン』を物した、 才気あふれるペトロニウスは恐らく このような神器でリスカったのだ。 かの狂ったローマ皇帝;ネロさえも、 基本的にはペトロニウスに操られ、 「趣味がいい」だの「悪い」だの、 「天才たるもの――」云々と…、 …
そして自害用のナイフ! 動物の骨で出来たそれはまるで 未熟なようなハンドアッシュである。 匕首のように明弁されていない。 まるで依代としてのアンテナだし、 直接的な心柱〜杖である。 .
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 トトーラの馬っ子 』 ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .