【64】 . 鉢かづき

はちかづき
母の最期に鉢を頭に被せられた娘が、継母に棄てられて三位中将の風呂場係として火焚きをしている内に、四男の宰相が嫁にしたいといって兄たちと嫁くらべをする。そのとき鉢が取れて、その中から着物など宝物が出てくる話。日本版「サンドリヨン」(=シンデレラ)。植物が“灰”というアルカリ性のミネラル分を必要とし、そういうアルカリによって常時表皮が殺菌され(あるいは荒れ)ていた、彼女たちの薄幸を想うべし。これは素焼きの盆を頭上に載せてその上でモグサを焼く日蓮宗土用の丑の無病息災を願う儀式;「焙烙灸」〔ホウロクキュウ〕でもあるが、つまり、半ば植物化しており、そしてこのことは単に単原的表象の言葉の綾ごときを楽しむなど、程度の低いものではない。中沢新一の2つの研究がここにおいてアウフヘーベンされると22世紀標準な程の、素敵な結果に至る。即ち、『カイエ・ソヴァージュ』の内の、特にやはり『サンドリヨン』と、『精霊の王』の内の謂わゆる民俗学で「芭蕉祭」(ハワイでもフラダンスを踊る女性たちは聖なる葉っぱを腰にまとう)と範疇する対象――今年のこの成果は本当、寒気がするくらい中沢は凄い!――、この両つをかつての『純粋なる自然の贈与』で繋いでもいいし、あるいは『森のバロック』〜『南方熊楠選集』の粘菌でくくっても乙である。なんで、こんな歴史的エポックメイキングに立ち会いながら、皆は音なしくしておれるのか? 『精霊の王』も読んでいないのか? もしくは、読んでも把握できないのか(;論語しらず)? 過去50年で、これだけ凄い仕事の出来たアーチストは皆無である。空前絶後の最大偉業!