(1).津田左右吉

つだそうきち
●1873〜1961(明治6〜昭和36)、岐阜生まれ、歴史学者
●若い頃、同人に国木田独歩らの居た『青年文学』に参加、白鳥庫吉の知遇を得て歴史研究に従事。
●また、群馬県・千葉県・宇都宮・千葉・独逸協会の中学教師を勤めた。
●『古事記』『日本書紀』における古代の記述が科学的ではないとして、単一民族説を主軸とする、大正デモクラシーの精神に則った、もっと科学的な歴史学を目指した。
●ために時の文部省のお抱え教師となり、教科書に載る歴史学の王道を邁進(;→ 教科書;『新撰東洋史』『国史教科書』などに参加)・日本歴史学の主流を成すに至るが、昭和15=1940年2月10日、記紀神話の「政治的述作」を立証しようとした『古事記日本書紀の研究』始め4冊が不敬罪ということで発禁処分と成る。
●弾圧事件で有名な「津田事件」である。後、3月8日に津田と出版元の岩波茂雄が「出版法違反」で起訴され、42年に有罪判決を受け、これを上告するも44年に却下され有罪確定。ながら、津田左右吉は49年に「文化勲章」をを受賞している。〈;→ なんとも煮え切らない奴らだ。〉 
●大体、師匠の白鳥庫吉の批判;『神代史の新しい研究』(1913)から主たる著述活動を行うなど、根本からして根性の腐り果てた、スットコドッコイの、器の小さい馬鹿であり、
●「佐幕派的史観」によって「尊王思想≠倒幕思想」を訴えるとか、「自我」を外から規制する「法制度への批判」をするとか、国際問題への関心から「自主的主体性」を考えるなど、人並に善悪もち併せる訳だが、功罪とえば罪悪でしかあるまい。畢竟どこまで行っても!
●「仕どろ戻ろ」を調停しえて始めて「大ッ人〜」なのであり、そうじゃない迷いを胸中告白し続ける私小説(的人生)など邪道! → 「控えぃッ! 騒ぐでないッ!」
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