▲▼∴ 640920. ∵▲▼ 旅の恥のように、未熟な若書きの書

負を偏計所執としつつ、
その根源に依他起を置いて
絶えず零に戻し、
再び負に陥る堂々巡りを
一挙に突破して正〔プラス〕へと至る途を
世親の唯識は説くがどこか弱々しい。
それはライプニッツモナドに近接して
各々がバラバラな一種のアトミズムに陥り、
放埓と無秩序と混乱の末に
支離滅裂な紛擾と共に
粉砕してしまうのではないか?
《『世親』p369》

    とか、

隔靴掻痒の感が残る
《『世親』p370》

等々散々にコキ降ろして来た
三枝充徳〔さいぐさみつよし〕
(;古字で「直」の下に「心」→新字が「徳」)も、
あれから25年も30年も経ち、
興福寺で剃髪&得度するや否や
掌を返したように
揉み手&手放しで絶賛する
奴の姿勢に如何程の真実があるのか?
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