2006-06-15から1日間の記事一覧
.. ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ .. ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ ▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . .
対立構造? いや、だから、ここで注意深く回避しなければならないのは、 ここでいう“対立”は単純な、 即ち「弁証法的“対立”」とは 全然別種のものであるということだ。 .
サルトルもLe pensée sauvageで “等質”ゆえ、 野生の思考を批判する資格を失うのである、し、 逆にいえばだからこそサルトルの哲学は 人類学者にとって「第一級の民族誌的資料」; =「稗史」なのである。 《『野生の思考』p300》 「エロスとタナトス」、 「…
そして、この単純な発想は、 最近代に「ミクロ-マクロ構造」を生んだし、 宗教とは自然法則の人間化だし、 呪術とは人間行動の自然化 《『野生の思考』p265》 の対立/共闘(?)だし、 ブルクハルトやシュペングラーの 「高給な歴史」ではなく・ ルノートル…
私は二つの条件を満たす還元方法しか正当と考えない。 (1).還元される諸条件の内容量を減らさないこと。 (2).現象の豊かさや、個性を支持・証明しうる充分量あつめたか? これはジャン=ジャック・ルソーの 人間の多様性は近視眼世界だ。 . & しか…
ゲームは全て規則の集合で規定され、 それらの規則は事実上無限な勝負を可能にする。 所が儀礼は同じようにプレーされながら、 調停や均衡を持たらすためのものであるため、 選択淘汰的で・限定的だ。 《『野生の思考』p38》 .
それでいて、 「無いものネダリ」は出来ない。 与件は我々のリアリティーなのだから。 つまり、神話を物にした生き方ってのは、 一種の知的な「ブリコラージュ」なんだな。 (;bricolage=器用仕事)。 《『野生の思考』p22》 .
ところで、 神話と共に生活する古代のありようは、 雑多に散らばった要素を当意即妙に チャッチャッ・パッパッと忽ち “御馳走”にしてしまうやりかたなんだな。 .
――ぜんぜん話は替わるけど、 彼らは結構タバコを服むんだな。 吸うんじゃなしにさ、 お茶のように煮出して、飲用するんだ。 彼ら呪術師はさぁ。 《ミルチア・エリアーデ『シャーマニズム』上p159・161》 ―― .
――『ネバー・エンディング・ストーリー』のようなものさ。 信じなきゃダメなんだ。 大切なのは心の持ちよう。 オマハ・インディアンは慰みには花を摘まないし、 彼らがシャボンユリを抜く場合や・ 東カナダのオンビアシー(=呪術医)が 草木の根や葉や皮を…
(正価を成立させる)商売じゃなく、 仲間内の「賄い料理」なら 跳んでもなく旨い料理を作る。 〈巻か綯い料理、う賄い?〉。 だが、常連さんに御指名を受けた途端、 この“魔法”は消えちゃうんだ。 凄いだろ? .
これが「bricoleur」となると 「器用人」である。 とはいっても、端からそう身構えた (体勢万全の)「玄人」ではなくして、 むしろ聊か「器用貧乏」のニュアンスをもつ、 頼り無げなエンスージャスト人(;熱中者)である。 彼らは有り合せで御馳走を作る。…
「bricoler」という動詞そのものが、 元からして「球技」だとか「玉突き」・ 「狩猟」・(ボールの)「バウンド」・ 「犬のさ迷い」・「馬の障害よけ」・ …等々を意味した。 つまり「イレギュラー」である。 「非-直線」、「不測の事態」。 .
ゲームは全て規則の集合で規定され、 それらの規則は事実上無限な勝負を可能にする。 所が儀礼は同じようにプレーされながら、 調停や均衡を持たらすためのものであるため、 選択淘汰的で・限定的だ。 《『野生の思考』p38》 .
彼らはフットボールを覚えたが、 両軍の勝ち負けが等しくなるまで、 何日も何日でも続けて試合をやる。 《『野生の思考』p38》 そこではゲームが儀礼として扱われたのだ。 .
急転直下で、 スタート地点に話を戻そう。 中沢新一が『精霊の王』で蹴球を引用し、 山川元が『卓球温泉』を描く前に、 クロード・レヴィ=ストロースが ニューギニアのガフク・ガマ族の サッカーを描写している。 .
▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼∴∵▲▼ . 『 Le carcajou 』 p60談;クズリは罠ぢゃちょっと捕まえられんな。あの鼬〔イタチ〕の仲間はな。しかも、罠にかかっている動物は勿論、罠それ自体まで面白がって持って行くんぢゃ。だから奴らを捕まえるにゃ鉄砲で撃たなきゃなん…