功罪

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功罪 かおり
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△▼△▼△▼ 1 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
自己満足なんてオナニストのやることだ。
人間存在は相互依存によって成り立ち、
有意義か無意義かは確かに主観によるし、
伴侶にしても車にしても妥協したら後悔
するだけ。だけれども、「本心」なんてものが
いかに曖昧で気まぐれ・デタラメなものかは
本人こそが一番よく熟知しているではないか。

△▼△▼△▼ 2 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
つまり浪費や生産は如実だし、
完全に数値化できる。
早い話、「世の中、金」だ。
だから、昨日という一日の
衝動買いや浪費を後悔することはあっても、
資格取得のための充実した数時間をおくり、
じっさい目標の資格を取得した暁には
充実感もヒトシオである。
一方、必然性のない「付き合い」で
漫然と浪費に終始した休日は
もったいないことをしたものだと想う。

△▼△▼△▼ 3 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
よし、集計しよう。
我々はどれだけ無駄に、非生産的時間を
過ごすのか?
そしてまた、そのぶん生産活動に回したら、
どれだけ有効な生産が可能か?

<<今日という日の時間配分こそが
丸々人生の縮図だ。
脳タリン上司から与えられた仕事を流れでこなすだけの
無駄な日中のあちビールを呑みTVを見、
寝るだけであれば仕掛けの多いブロイラー生活だ。
夢遊する植物人間、焼かれて起立する死産の死体。
この分を“生産”に回したら・・・・・・>>

過去は嘘をつけない。
ことごとく「経歴」や「前科」として列挙できる。
数字には言訳は通用しない。
年収400万の者は300万でも800万でもない。
去年500万だった結果は、来年になったから
2000万だったとは訂正できない。
その中で、本当に誇れる自分とはやはり、
罪悪ではなく功徳を為した方が圧倒的な場合だ。

△▼△▼△▼ 4 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
同じ人生の時間において、
歴史に名を残せる偉人もいれば、
燻ったまま小山の対象で消える者もいる。
目だたずに消え入るウダツの上がらぬ者はまだしも、
一時の興奮を制御しきれずに衝動的な悪業を
為した者は自分ひとりのみならず、
一族郎党、知人、地域住民にまで
連帯責任の迷惑をかけてしまう。
そりゃ道義的、経済的に多大なものから、
名誉や気分にいたるまで大なり小なりあるが、
ともかく自分の兄弟が犯罪を犯した時、
自分の両親や子供、無二の親友が犯罪を起こした時、
やはり気まづい苦々しさを味わうことになろう。
最初は有名人気分で面白いかもしれないが、
そんなものは三日で雲散霧消する。
ロドプシンが増えて現実が見え出した時、
血の気が引き、超伝導できるほどに冷たい汗をかくだろう。

△▼△▼△▼ 5 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「自分を探して」センチメンタルな旅行で人生を了えるのは
近代の貧乏人の生き様である。飴と鞭。飴と鞭。
奴らの反省→解体→分析によって、
もっと合理的なメタ人生が構想された。
構造主義の定着である。
レヴィ=ストロースホモサピエンス一般の何たるかを問い詰め、
ミシェル・フーコーが無意識を史実から掘り返した。
その両サイドからのWバインドによって、
ポストモダンというコヒーレンスが、壊れた発条のように繚乱したのである。
スローガンは「ディコンストラクション=再構築」だった。
すなわち20C前半に分解した対象を、
中期に分析したわけだから、
後期は再合成しようじゃないかというものであった。
もちろん欠陥のパーツは交換で、
技術革新の進んだバージョンは積極的に活用し。

△▼△▼△▼ 6 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
果たして「再合成」はかなったか?
我々は合理的に有効な生を生きているか?
いや、まだ大分、近代を引っ張っている。
高速の償還だって何十年も先のばしじゃないか。
そんなこといってしかし、安穏とばかりもしておれぬ。
CPUの処理能力は1年半ごとに倍増している(=ムーアの法則)。
つまり太古と近未来のフィンガーソルト状態の渦中にあって
我々はインプリケーティッド・オーダー=胎蔵経=啓示を見切り、
シミュラークルの偽人共に惑わされたりせず、不惑・不退転の決意でもって、
デジタルの密林/原野を闊歩しなければならぬ。
(あるいは疾駆。あるいは逃避行。速くあれ、たとえその場を・・・云々。)
罪など犯しているヒマはない。
失敗をしている余裕などないのである。
万人、あるいは“戦士”に告ぐ;
即刻ただちに最善を尽くせ!

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