3.ミル(;→といいながらベンサム!)-----------------

◆(1).ジョン・スチュアート・ミル、イギリスの功利主義哲学者。◆(2).ジェレミーベンサム(英、1748〜1832)と友人だったジェームズ・ミルを父に持ち、徹底的なベンサム理論を幼時より叩き込まれた。◆(3).所が「物理的・政治的・道徳的・宗教的な4項目の支持力によって、私的快楽欲求と、社会的な幸福が、合致する最大公約数のポイントがある筈である!」として、その逆説の展開で考えた一望性の監獄施設「パノプティコン」を実際つくって運営していったベンサムのありかたに対し、否定的な考えを抱く。◆(4).また、社会背景がサン・シモンやオーギュスト・コントなどの、もっと開放的な潮流に向かうに当たって、ベンサムの“量的計算”よりも、ミルはもっと“主体的な質”;人類共通の感情としての「良心の声」を求めた。◆(5).よってその主著;『功利主義論』において、「ナザレのイエスの中に我々は功利主義の黄金率を見る!」と云い、また有名な「満足した豚であるよりも不満足なソクラテスである方がいい!」と書き殴っている。(但し後者の格言は古代ギリシアキケロのものの文字り。)◆(6).更にまた、リカルドの古典経済学を継承し、その中のエッセンスである「セイの法則」を援用し自由貿易論『経済学原理』を記し、イギリスの国民性として吸収され、自由主義意識の高さはあるものの、労働運動が活発化しなかった要因ともなったわけだが・・・・・・、◆(7).だが果たして本当にそうだろうか? そのような植木等=平均〔タイラヒトシ〕ふうのオッペケペーな、無邪気な性善説などは、社会背景がたまたま温和に動いたから保持されたまでで、現代のように本当に善人が壊滅した世紀末世界においては、そのような甘い考えの者はイイカモにしかされない。◆(8).更に更にまた、「人類共通の良心」などというものはありえない。スキがあったら財布をくすねてやろう、置き引きをしてやろう、という極貧国の少年ギャングたちや、火事場泥棒と墓場アラシと間男(←/→コキュー=寝取られ男)浮気女ばかりとなった現代に、うかうかしてたら連帯保証人にされ消費者金融づけでハラーワーク通いの病気モチとなって“社会に殺されて”しまう。◆(9).従って、自衛するのも武装するだけではなく、「先手必勝」とばかりに“やられる前にやる”しかない。「攻撃こそ最大の防御」の論法で、狂人たちは刃物をぶんぶん振り回すし、疑心暗鬼の小心者の“国王”は、見えない大量殺戮兵器の廃棄のために、軍隊総動員で異教徒の小国(;→但し石油はたっぷり!)に攻め入る。(もちろんネオコン、AEI、OSIS、ヘリテージ財団ランド研究所ブルッキングス研究所、IPS、FRBグリーンスパン、サマーズ、ジョージ・ソロスビル・ゲイツが後ろで囁き、操り糸を引く。)◆(10).だからミルの功利主義思想など、過保護で無責任な弱々しいものでしかなく、逆にだからこそきっちりグリッドを引いたベンサムの慧眼にこそ再注目すべきだし、筆者の私は今後のユビキタス世界を睨み、ベンサムの数値化の再評定を試みており、早ければ年内にその成果を発表する。
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