2009-02-11から1日間の記事一覧
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いっそ、“舌を吐け!” 『選択本願念仏集』のやうに。 それが出来ぬならせめてオマヘ、 “下を履け!”。 .
メディアに処するにしても 全く同然である。 家訓や道徳や美学を介して 到達した利器ではあったけれども、 今では場末の『エントロピー教則本』、 言い換えれば『悪魔教経典』でしかない。 だからブログや多アクセス動画に怯れ、 媚を売る一方、舌を出す。 .
戦争が歴史の相貌を有す事くらいあるだろう。 しかしそれは副次でしかなく、 本題ではない。 これに装置の背後性を付与すれば、 納得のための丁稚上げが一丁上りだ。 しかしそんなサロン向けの合意に 流されていた所で何も始まりはしない。 《ジル・ドゥルー…
近現代歴史学の過ちを (=我々の世界認識の誤ち、を) ジル・ドゥルーズが舌鋒鋭く 非難する語録; 生成変化の方が 歴史なんぞよか よっぽど重要だ。 生成変化と歴史では まるで 似ても似つかない。 《ジル・ドゥルーズ『記号と事件』p66》 .
だから「アンタンシテ」(=強度)ありき、 だったのである。 転びの作用体。 キッカケ。 運と、棚ボタ。 運命のリバレッジ。 .
だからついぞ“決定的”であったり、 “絶対的”でなどありえず、 端部は勿論、主題も意図も アリソでナサソな有耶無耶の クニャクニャ変形体なのだ。 .
反復されるものは、 まさに諸-反復である 《ジル・ドゥルーズ『差異と反復』上p13》 意識は反復を基本単位に 世界認識を構成するが、 ――ゼノンの矢のパラドクス――、 ついに反復はありえず、 我々の認識はいつも ピンボケした一般性で お茶を濁してばかり…な…
いや、本当にそうだろうか? いったん焼かれた=酸化した土は、 再び焼くことが出来るのだろうか? それが出来ないからこそ 「共直し」や「金継ぎ」・「Conservation」・ 「Restoration」・「Color-fill」といった 様々な修復技術が生まれたのではなかったか…
しかし正論なのは、 いっそ粒子レベルにまで砕いて、 もう一度“素材”にまで還元してしまえば、 もう一度「急須」や「皿」や「茶碗」が 焼けるではないか。 .
堀之内九一郎のやうに、 もう少し細かく破壊して セメントや樹脂で固めてしまえば、 無価値だった筈の廃棄物にも 新たな価値付けが可能ではあろう。 製品化すれば売れるだろうし、 その提案だけでも「アハ体験」 乃至は「閃き」を与えるだろう。 ――2004年の…
確かに考古学の復元作業の 出来損ないであるオノ・ヨーコの “やりかけ断片”は完くな蛇足である。 繋ぎかけの実用磁器など オブジェの品格も持たなければ、 水を入れればダダ漏れであろう。 .
これは悪しき傾向だ。 人倫はもっと健康的で 平和なものでなければ 長続きしない。 .
そしてそれには 感受するだけではなく、 試行錯誤し・学習しながら進化させる 意欲も必要なのだ。 TVの一方通行文化が 感受するだけの廃人ばかりを量産し、 彼らは搾取され、 2%のブルジョアのために その身を捧げる家畜と成り下がってしまった。 ――「年…
我々の人生は ブラビの『バベル』のやうに 簡〜単に崩壊もすれば、 同じ程に簡〜単に 成功ないし成立もするものなのである。 .
ジェロニモのようなインディアンや 強盗にも襲われるし、 逞しい。 簡単に造反従業員を射殺するし、 友情の峰撃ちや手の甲の破壊は ありがたい温情なのだ。 多分、生涯尾を引く古傷や 障害になるに違いないのだけれども。 .
牛・牛・丑である。 圧倒的な数の牛。 を育て、自分達でも食らい、 そしてより高く売れる場所(;ミズーリ) にまで運ぶ。 .
トム・クルーズまで出ている。 少し小柄な頃だが、 今よりずっと男前だった。 いや、トム・クルーズではない。 モンゴメリー・クリフトだった。 ――『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』では トム・クの変装を 登場途端に見抜いたが――。 .
両方よく映っている映画がある。 ジョン・ウェイン主演で ハワード・ホークス監督の 『赤い河』がそれだ。 .
そして現代人が車にガソリンを入れるように、 牛や馬は宿場で繋ぎ替えたり・ 休ませたりしたのであるし、 川下りを終えた船を脇の岸から 牽引させて上流まで運ばせたり したのである。 .
そりゃ“馬”はとても重要だけれども、 同じ様に“牛”もかなり重宝がられた 事実にもっと目を向けるべきである。 実際、平安・鎌倉の時代には 「厩」(=馬屋)とはいっても、 実際には牛も半分飼っていたし、 室町の時代には牛メインの場合、 「車借」〔シャシ…
それでも傷んでしまう魚で中毒った腹に 富山の薬売りが南下する、 という古代流通の洛中洛外図なのだ。 .
ただ基本的には 鳴海の辺りで塩釜(鉄釜)で焼かれた塩が 牛で塩尻や松本といった内陸部にまで 延々と運ばれていた、という まさに宮本常一的な世界(:Salt Road )の 派生した説話であって .
「牛に牽かれて善光寺」 ってのも良い。 心の狭い現金主義者が ちょっとしたハプニングによって 違う世界観があることにも触れる、 ちょっといいカルチャー・ショック話であり、 破壊された磁器を繋ぎ直す オノ・ヨーコの『メンディング・ピース』 にも通じ…
“牛のやうに歩く”ヘーゲル もちょっと想った。 牛歩戦術の思索者。 私の場合、ジル・ドゥルーズとは正反対で、 「キルケゴールやニーチェや シャルル・ペギーよりもヘーゲル」 なのである。 .
解説も野暮だけれども、 老子は青牛「アピス」に跨って 尹喜の前に現れた。 ――そう、紫の気に包まれて。 まるでジミヘンかプリンスか、 佐藤信淵のやうである――。 だから丑年の賀状には 『ゲルニカ』かコレだ!と イマジンした次第。 .
斯くいう私にしたって 今年の年賀状には 牧谿の『鼻毛老子』を あしらった。 .
かと思へば、 松岡正剛〔セイゴオ〕まで 「英訳の老子」だとか 「老子より荘子だった」 なんて云っている。 .
「知は楽なり」の老子で始まった。 『気くばりのすすめ』の鈴木健二である。 .
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