#■ 1 ■######■陰気なオタク共ッ!

陰気なオタク共が余計なことをしやがる。
これは『はてなダイアリー』そのものの
本質的な体質なのか?
だとしたら、是非とも決別したい。
トロくさくて、アホらしく、やっとれんッ!
人が善意でしてる業務を
根底から否定しやがる。
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#■ 3 ■######■自意識過剰のノータリン共ッ!

運営者側が用意してないから、
親切心であくまでもやっている
行為である。
それを根暗な、ヒマを持て余した
自意識過剰のノータリン(;複数いる)が、
ハイエナよろしく“食い物”にしている。
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#■ 4 ■######■社会的参与・公共の意義を弁えておるのかッ!

不健全な、病んだ環境だ。
そんな内輪だけでイイ子イイ子しながら
傷を舐め合い、感傷に満ちた文化圏を
(擬似)形成したいなら、
サークルだけで、メーリングリストででも
やっとけやッ!
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#■ 5 ■######■自覚なき閑人倶楽部かッ!

そうじゃなく、客体の企画として、
ライブドアサイバーエージェントに続け
って意欲があるのなら、
いま一度、その根源的な意義を
洗い直す必要がある。
自覚の低い連中とは
付き合う気がしない。
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#■ 6 ■######■管理者権限かよッ!

そこで、消されぬ内に、
あるいは消されたかも知れないキーワードを、
以下に示すものである。
(更には俺のページ全体を
抹消されてしまうかもしれない。
が、それならそれまでのこと。
イチイチ熱くなることもない。)
俺は俺。俺の道を行くだけ。
信念あって生きている。
他で構ってももらえぬオタクのハナタレ共に
愛想をしているヒマはない。
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#■ 7 ■######■ラプラース

ラプラース
★ピエール・シモン・ラプラース、フランス、1749〜1827。ガリレオたち以来、眺められ続けてきた“天体”は、その因果・法則が次第に思索されていく。★中でもライプニッツニュートンパスカルなどのものが古代に立ち返った原理的なものだったが、哲学者のカントは外郭から理性の精度を極めようと自然科学を厳密に審査していった。★(そんなイメージが持たれやすいが、本当は逆である。カントは科学者であり、大学の卒論は『活力測定考』だし、地球の自転や地球の老朽化、地震原因論、天界の一般自然史・・・・・・等々ばかりを考察していた。40歳になり初めてルソーの『エミール』を読み、その関心を人間・哲学に移すのである。また、ヒュームの懐疑論哲学による形而上学批判を知り、それまでの確信が揺らいでいる。)★その結果、考えられたのが星雲説である。いわゆる『カント‐ラプラースの星雲説』。ラプラースは、宇宙の成立を科学法則から説明しようとして、カントの星雲説を発展させ、宇宙進化論を説く。★ラプラースのした仕事は、ケプラー以来考えられてきた「楕円の軌道」はありうるか?という論題;ニュートンさえ結局は証明未遂に終わって放置されていたものを、「無限解析はその普遍性によって、与えられた法則から導かれうる全てを包括する。」として、論理的な後押しをした。★神秘に関する宇宙の記述に必要な初期条件に関する無知を、絶対的な確率の方法によって予見可能だとして「ラプラースの魔」を捻出した。
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#■ 8 ■######■カント‐ラプラースの星雲説

カント‐ラプラースの星雲説
★1.【概説】:「宇宙の塵が集まり星雲になり、更にそれが集まって星が誕生する」という説。
★2.【詳細】:ニュートン物理学の影響を受けたイマニュエル・カント(1724〜1804)は1755年、太陽系の起源を解き明かす『天界の一般自然史と理論』を書いた。宇宙の生成を力学的に説き明かすことを試みたもので、宇宙が機械として純力学的に説明されることは神の存在の証明として認識され、画期的な学説であった。
★3.【歴史的背景1】:既にニュートンが天体運動を支配する法則を発見していたが、実際の天体観測では、惑星の軌道運行に不規則運動;つまり「摂動」があり、これが徐々に進行して蓄積していけば最終的には太陽系の規則的運行は崩壊してしまう。この説明を求められてニュートンは、「神がそれを正してくれる筈である」と弱々しく述べただけだった。
★4.【歴史的背景2】:これに対してラプラースは、ある惑星の運動不規則性(惑星の運動中心の軌道中心からのズレ、離心率で与えられる)が増加すれば、他の惑星のそれは減少するのであり、長期的に、かつ全体的に見て、不規則性は進行し、累積して行くのではなくて、変動は周期的に生じていることを明らかにし、確率論的に太陽系の安定性を立証したのだった。
★5.【逸話】:この研究論文を手にしたナポレオンが「どこにも神の御名がないようだが?」と尋ねた時、ラプラースは昴然とこう答えた;「陛下、私は神の如き仮説は必要としないのです!」。
★6.【業績】:「ラプラース方程式」という偏微分方程式を考察し、2個ないし3個の未知数を持つ偏微分方程式を、一個の未知倍の方程式に置き換えるという、いわゆる「ラプラース変換」に途を開いたのだった。これは運動を扱うあらゆる問題に有益なものであり、これが存在しなければ、電気磁気学や流体力学などはその入口で止まり、そこから奥へは発展しなかったに違いない。
★7.【人物像】:「フランスのニュートン」と呼ばれ、名声と富を得て亡くなったが、「我々の知っている事は少なく、知らないことは無限である」という臨終の言葉を予め用意しておき、死ぬ時にわざわざそれを云って死んだということで判るように、天才と俗物とが入り混じった複雑な人物であった。数学好きのナポレオンに可愛がられ、内務大臣、長期にわたっての元老院議員、宮廷顧問官、伯爵に任じられたが、1814年の王政復古によってブルボン王朝が返り咲いた際にも、他の多くの人々が失脚したにも関わらず、ラプラースはうまく立ちまわって引き続き重用され、ルイ19世によって侯爵に列せられた。ために当時から、「政治的に無節操なオポチュニストだ」との批判があった。が、また彼は、若い新進の学者には非常にやさしく親切だったのだ。
★8.【評価】:したがって史書ではケチョンケチョンに貶されている反面、科学書では高い評価を与えており、一概に善悪だとか何点とか評価しにくい。但し有名の星雲説は、他でもない古代ギリシアのエピキュロスの元素論の焼き直しである。
★9.【補記】:ピエール・シモン・ラプラース(フランス、1749〜1827)は、「ラプラス]ともよく表記される。半々くらいである。よって『カント‐ラプラスの星雲説』でもある。
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#■ 9 ■######■アガスティア

アガスティア
ヒンドゥーの聖仙〔リシ;利子ではない!〕の名前。ヴィンディヤー山を越えて南インドバラモン文化をもたらした『リグヴェーダ』や『ラーマーヤナ』などヴェーダ期(;日本でいえば記紀神話時代)の偉人。◆当時このデカン高原の辺りは、江戸期における蝦夷地のように、未開な不明な世界だった。『マヌの法典』ではヴィンディヤー山脈とヒマラヤ山脈の間;「アーリヤ・ヴァルタ」にバラモンは住むべし、と、説かれている。先住民族ドラヴィダ人たちに、先進文明のアーリヤ文化をもたらしたのがアガスティアなのだ。◆青山圭秀によって話題沸騰となった「アガスティアの葉」とは、そのアガスティアが椰子の葉に、訪ね来る各人の運命を5000年も前に記したもの。その「チャンドラクンダリー」には人物の名、現在・過去・未来・前世・来世が詳しく書かれている。つまり「全ての解答」が。◆さらに興味深いのは、まるで空海かのように、今でもアガスティアは生きていて、修行者たちの霊的な指導を行っているという話。ただしこの話は実際は、ちょうどサイババの場合のように、何代も何代も連綿と受け継がれてきた「号」とか「位」・「ステータス」なのかも知れない。◆話題になって以来、インドを訪ねる人が後を立たないが、多くは贋物の「アガスティアの館」で眉唾物のニセ占い師にいいようにあしらわれて帰ってくる。第一、古代タミール語で書かれた筈のそれが現代タミール語で記されていたり、前後2日の天球図が出てきたりする。これを読む人を「バンディッド」というが、その背後に整理されたアガスティアの葉は丸で漢方薬局のように有限であり、量も知れている。とても、人類全員の分はないし、長い歴史のトータル人数から考えても量が合わない。だからアバウトなものだし、占星術など他の占いによってそこそこの納得をさせるものであり、恐山のイタコと似たり寄ったりである。
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