◆1◆前言◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

岡山の小学三年生少女といい、
板橋区の42歳女性といい、
通り魔が多くて危険だ。
とはいえ防刃服は高価くて、重くて、
しかも腕とか頭部とか出しっ放しなので、
「あたま隠して尻かくさず(?)」」
といったようなことになる。
もう、武術のエキスパートに
なるしかないようだ。
.

1.ブレゲ---------------------------------------

アブラハム・ルイ・ブレゲ、スイス・ニューシャテル生れ、1747〜1823。15歳の時フランスへ移転、当時さかんであった天体運行の宇宙論に基づき、上下左右いろいろに動かす生活者が見に付けても小さな時計の狂わない機構;即ちロータリーエンジンのように・つまりは惑星公転を模した「トゥールビヨン」や「ミニッツ・リピーターのスプリングゴング」を自ら開発し、生涯で約4000個の懐中時計を製作・販売。「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」、「時計の歴史を200年早めた人物」等と称される。
.

2.トーマス・グレイ-------------------------------

イギリスの叙情詩人、1716〜1771。ケンブリッジ大学の近代史・近代語教授だった。「ヨーロッパ随一の知性」といわれて畏れられたが(;→後のアナトール・フランスや、ホルヘ・ルイス・ボルヘスのようだ)、結局本人で生前に発表したものは300ページ足らずの一冊かぎりであり、しかもその世間的評価は決して高くない。――どうしてこうなのだろう? ソクラテスブッダもキリストも、老子もエピキュロスも、思いっきり飛んでソシュールにしても、全く無作か、極めて寡作である。後代のこと=他人のことなど、まるで考えないようだ。そういう点、禅のようにドラスティックだといえる。しかも遺されるのは妹だの知友だのに宛てた書簡など「片鱗」なのだ。精髄ではなくて。あ、もしか、気どってる? なら、滑ってるよ、思いっきしッ! いや、人の記憶という“石版よりも確かな記録媒体”に残していくのだ。未練を残さすヒドイ人・・・・・・ 〈ここで個人名を叫ぼうかと思ったけれども、そういうのはネチケット違反になるので、連想容易な架空名にしてもここでは控えておこう。〉――。で、グレイの遺した作品は『エレジー』一篇のみ後代によく伝えられ、日本では『墓畔の悲歌』と訳出されている。本題は『Elegy written in a Country Churchyard』(田舎の教会墓地で詠んだ悲歌・挽歌)だから。
.

3.ミル(;→といいながらベンサム!)-----------------

◆(1).ジョン・スチュアート・ミル、イギリスの功利主義哲学者。◆(2).ジェレミーベンサム(英、1748〜1832)と友人だったジェームズ・ミルを父に持ち、徹底的なベンサム理論を幼時より叩き込まれた。◆(3).所が「物理的・政治的・道徳的・宗教的な4項目の支持力によって、私的快楽欲求と、社会的な幸福が、合致する最大公約数のポイントがある筈である!」として、その逆説の展開で考えた一望性の監獄施設「パノプティコン」を実際つくって運営していったベンサムのありかたに対し、否定的な考えを抱く。◆(4).また、社会背景がサン・シモンやオーギュスト・コントなどの、もっと開放的な潮流に向かうに当たって、ベンサムの“量的計算”よりも、ミルはもっと“主体的な質”;人類共通の感情としての「良心の声」を求めた。◆(5).よってその主著;『功利主義論』において、「ナザレのイエスの中に我々は功利主義の黄金率を見る!」と云い、また有名な「満足した豚であるよりも不満足なソクラテスである方がいい!」と書き殴っている。(但し後者の格言は古代ギリシアキケロのものの文字り。)◆(6).更にまた、リカルドの古典経済学を継承し、その中のエッセンスである「セイの法則」を援用し自由貿易論『経済学原理』を記し、イギリスの国民性として吸収され、自由主義意識の高さはあるものの、労働運動が活発化しなかった要因ともなったわけだが・・・・・・、◆(7).だが果たして本当にそうだろうか? そのような植木等=平均〔タイラヒトシ〕ふうのオッペケペーな、無邪気な性善説などは、社会背景がたまたま温和に動いたから保持されたまでで、現代のように本当に善人が壊滅した世紀末世界においては、そのような甘い考えの者はイイカモにしかされない。◆(8).更に更にまた、「人類共通の良心」などというものはありえない。スキがあったら財布をくすねてやろう、置き引きをしてやろう、という極貧国の少年ギャングたちや、火事場泥棒と墓場アラシと間男(←/→コキュー=寝取られ男)浮気女ばかりとなった現代に、うかうかしてたら連帯保証人にされ消費者金融づけでハラーワーク通いの病気モチとなって“社会に殺されて”しまう。◆(9).従って、自衛するのも武装するだけではなく、「先手必勝」とばかりに“やられる前にやる”しかない。「攻撃こそ最大の防御」の論法で、狂人たちは刃物をぶんぶん振り回すし、疑心暗鬼の小心者の“国王”は、見えない大量殺戮兵器の廃棄のために、軍隊総動員で異教徒の小国(;→但し石油はたっぷり!)に攻め入る。(もちろんネオコン、AEI、OSIS、ヘリテージ財団ランド研究所ブルッキングス研究所、IPS、FRBグリーンスパン、サマーズ、ジョージ・ソロスビル・ゲイツが後ろで囁き、操り糸を引く。)◆(10).だからミルの功利主義思想など、過保護で無責任な弱々しいものでしかなく、逆にだからこそきっちりグリッドを引いたベンサムの慧眼にこそ再注目すべきだし、筆者の私は今後のユビキタス世界を睨み、ベンサムの数値化の再評定を試みており、早ければ年内にその成果を発表する。
.

4.ランケ---------------------------------------

ドイツの歴史家、1795〜1886。厳密な史料批判と客観的科学の実証主義により、19Cを「歴史の世紀」と謂わしめるまでの隆盛を誇った。“それは事実いかにあったのか?”との生活実感にまで及ぶ探及で、近代歴史学の創始といえる。万国史・列国史でない『世界史』が主著(但し15Cまでで未完)。同じドイツのドロイゼン(1808〜1884)やトライチケ(1834〜1896)に受け継がれる。また、ドイツ国外のギゾー(仏、1787〜1874)やマコーレー(英、1800〜1859)にも影響したし、歴史法学のサヴィニー(独、1779〜1861)にもその民俗学的法学を想い着かせた。
.

5.四書五経------------------------------------

漢代より儒学の根本聖典とされた、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の五経に加えて、朱熹(1130〜1200)が四書;『大学』『中庸』『論語』『孟子』を加えたもの。諸教科書であり、文化人であるためにはこのていど知らないと「常識がない」とされた。
.

6.カーライル------------------------------------

トーマス・カーライル、1795〜1881、イギリスの評論家。代表作;『フランス革命史』。内村鑑三は絶賛してやまないが、当時の歴史学は同じく1795生れ(〜1886)のランケの歴史学;厳密な史料批判と客観的科学の実証主義が隆盛を誇っていた。ために、ドイツやフランス勢が調子よく、カーライルのものは非科学的として一級の扱いを受けていない。
.

8.バニヤン-------------------------------------

ジョン・バニヤン、イギリスの作家、1628〜1688。(「バンヤン」とも表記する。)ピューリタン革命に参加し、王政復古後には投獄もされた。代表作=『天路歴程』。
.

10.ミラボー.------------------------------------

フランスの、貴族出身の政治家、1749〜1791。第三身分代表として三部会に選出されて立憲君主主義の立場をとり、国民議会の中心として活躍したが、裏では王と取引して過度の民主化を阻止した。
.

11.モンテスキュー.------------------------------

フランスの法律家、1689〜1755。1725年に高等法院長を辞してのちヨーロッパ各地を旅行し、そのあと著述に専念、啓蒙精神に基づく『法の精神』(;→三権分立を主張)、大胆な社会批判の風刺小説;『ペルシア人への手紙』などを書いた。
.

12.ジョン・ロック--------------------------------

イギリスの哲学者、1632〜1704。フランシス・ベーコン(英、1561〜1626)の経験論を発展させて、同じくホッブズ(英、1588〜1679)の『リヴァイアサン』;「万人の万人による闘争」状態は何ゆえか考証、その結論としてタブラ・ラサ(=心は白紙である)という『人間知性論』や、「政府の支配権の委任は、人民の財産権や幸福の保障を前提にするものであって、それが阻害された場合には人民は委任した権利の返還や支配者の交替を要求できる。」とした『市民政府二論』などを著わした。当然、クロムウェル(英、1599〜1658)らのピューリタン革命(英、1642〜1649)で芽生えてきた市民意識や、オランダのグロティウス(1583〜1645)らの国際法や社会契約説にも喚起された。
.

13.クロムウェル--------------------------------

オリバー・クロムウェル(1599〜1658)。『グリーンマイル』の警察署長役などで名優のジェームズ・クロムウェルもいるが、ここではそのことではない。絶対主義支配の閉塞を、17世紀の台頭してきた産業資本家層が打ち破って、権力交替した「市民革命」・「ブルジョア革命」・「清教徒革命」のなかで、最もその代表的なイギリスはカルヴィン派のピューリタン革命(=清教徒革命)を指揮した政治家。王党と、妥協的な長老派(;プレスビテリアン)に代って、議会派の軍事権を握り、王党派を撃破。ジェントリ(=郷紳、准貴族)&ヨーマン(=独立自営農民)で構成された鉄騎隊を指揮し、王党軍を圧倒し、王を処刑し、共和政の軍事独裁を断行した。だらけきった怠慢な癒着構造の悪政を、勤労と信仰を旨とする、規律と闘志に優れた理想主義が打破する構図であり、日本の新撰組などを彷彿させる。
.

14.ガタリ--------------------------------

【♪1】.フェリックス・ガタリ、フランスの現代哲学者、1930〜1992.0829。ポストモダンの花形スター。ジル・ドゥルーズと共著で多くの画期的な問題作を打ち立てた。『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』など。【♪2】.また単独で、『精神分析と横断性』(1972年)や『分子革命』(1977年)、プルースト論『機械状無意識―スキゾ分析』(1979年)、1980年代には『分裂症分析の地図製作法』、『精神と記号』『三つのエコロジー』『<横断性>から<カオスモーズ>へ』等々、さすがにジャック・ラカンの下で精神医療を学んだだけあって鋭い情報処理能力を示したし、それらの活動の中から「エコエティカ」などという読んで字の如くの「自然循環の叡智(・倫理)」なんて、殆ど東洋的なセンスさえ示してくれた。【♪3】.非常に該博で、しかも文系知性よりも理系で最新の研究論文などにも通じ、老いたドゥルーズ以上の飛躍を見せるかと期待されたが、病気のため若くして急逝。(相方のドゥルーズは以前から病気入院を重ね、“危ない、危ない”と云われていたが幸い保ったのに、生き別れでのコンビ解消に意気消沈して3年後に後追い自殺。)【♪4】.くるっくるっの、ベティ・ブーヴ並の巻き毛が蓬髪――「蓬〔ヨモギ〕のように乱れた髪。」昔は身だしなみの出来てない恥ずかしいことであったが、現代はファッションで敢えてピンピンハネさせる。この意味においてもガタリは先をいってたのか?(必ずしもアイロニーではない)――と、狂的な奥目で、マッドサイエンスチストみたいだった。【♪5】.死んで12年ばかり経ったわけだが、改めて現代思想で一番スゴかったのは誰かと考えるならば、ネグリヴィリリオボードリヤールクリステヴァ、ナンシーではなく、断トツでガタリかと想われる。【♪6】.あまりにも狂的、あまりにもデモーニッシュであったために、むしろ第一奏者と目されたジル・ドゥルーズは手綱をもつ調教師で、それを制御できないほどに引っ張りまわす猛獣のような構図が成り立つだろう。【♪7】.前衛といって、本当の本当に前衛なケースは稀である。なぜなら大体は大口を叩くだけで実際の伴わない、理が不尽な連中ばかりである。よって、お弁チャラで、“自意識過剰”な相手には「ハイハイよしよし」としてやることもあるが、まづ本心では、そんなアグレッシブでプログレッシブなハートの熱い不言実行の行動力ある奴は皆無である。【♪8】.みんな見えない所;私的な領域においては「屁を扱き、ウンコをする」天使には程遠いアイドルだ。(;→皮膚にはダニ・カビを飼い育て、名の着いた性病の限りを持っている!)。【♪9】.かといって、開き直るような精神のダラケた奴はとっとと失せやがれ!である。【♪10】.そういう点、我々が結構熱心にやっても中々及ばぬまでに独自の考察や研究を続けた極々一握りの人間だけが歴史上に燦然と輝く。最近のもので最も皓々たるものが、他ならぬこのガタリなのだ。【♪11】.後代は「わだば吉本隆明になる!」などといってビン底メガネで版面に鼻を着けるようにしてせっせせっせと邁進などするな!(;→棟方志向がゴッホを目ざしてそんなようなことを云った。また、現代哲学では吉本を目ざせと中沢新一がかつてそう語っていた。それを意識して。)【♪12】.D−Gの共著を座右の聖書として生きよ(/さもなくば死ね!)!
.

16.尾上綾--------------------------------

尾上綾、ワコールの「ナチュラルフィットブラ」を宣伝するスレンダーなモデル。身長170センチ、B82・W59・H87センチ。埼玉県出身、1982年04月02日うまれ。もと、ファッション誌「JJ」の専属モデル。その後、サントリービールキャンペーンガールも務めた。軽妙な癒し系で、いじりかた次第で大きく飛躍しそう。女性に圧倒的人気の押切もえ(cancan専属モデル)ともいい勝負だろう。OCN相武沙季と並ぶ、新CM女王の誕生か。
.

17.アンガージュマン------------------------------------

参画のこと。主に政治的な活動へのそれを指し、――よって共産党の専売特許であったのだが――、ジャン・ポール・サルトルミシェル・フーコーが口にした。
.