2004-11-01から1ヶ月間の記事一覧

■■=== 4 ===■■「引き彫り」の「型紙」

それも、(保護液の)「筆塗り」ではなく、 着物の染めに使う「型紙」を使い、 鋭い小刀で一気に切り取る「引き彫り」という手法であったために、 「直線の折れ目」や、左右シンメトリカルな(手の動きの)「癖」、 並びに「1mmに満たない線」部分の説明…

■■=== 3 ===■■「蛍光撮影法」;金属の含有、認められず

これなどは、東京文化財研究所の三浦定俊が行った調査の、 「蛍光X線分析」で、 銀も銅もいっさい使われていないことが判明した。 更に「蛍光撮影法」で植物染料の特徴が検出され、 超拡大化して色の分析を行った所、 どうやらそれは「藍」であることが判っ…

■■=== 2 ===■■銀箔と硫黄の流水模様?

更には、中央を大胆にうねる流水さえも、 銀箔の上に「明礬+膠」の腐食保護液を塗り、 その上に草津温泉の「湯の花」のような硫黄の粉をまぶして、 しばらく放置すると、 保護液を塗っていない部分は腐食して黒くなり、 保護液の塗ってある所は銀色のまま残…

■■=== 1 ===■■「蛍光X線分析」

あの天下の名品、尾形光琳の 『紅白梅図屏風』の“金箔”に至っては、 精妙な“擬作”だった。 (静岡県熱海市のMOA美術館所収。) 「蛍光X線分析」という方法で、 使用材料の分析を行い、 金箔の「金」とは含有量が全然ちがうことが判明した。 当時流行の小…

『 『光琳梅図』の金箔 』

■■=============■■=============■■ . 『 尾形光琳;『紅白梅図屏風』の“金箔” 』 ■■=============■■=============■■ . .

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△ 27 ▲ 「七色に海面を照らす蛇」

美保神社の「神光照海」の扁額が セグロウミヘビとなって七色に海面を照らし、 黒潮が北上して斐伊川〔ヒイカワ〕を遡り、 ヤマタノオロチと化してスサノオに退治され、 水蒸気となってニライカナイへ消えていく・・・・・・ ――という神秘のエコロジーに . …

△ 26 ▲ 矛を溶かして銅鐸にした遺跡群

もちろん、これだけでも素晴らしい。 が、狭々こましい年収300万の 暇なき貧乏・不器用生活を愛好していない皆様には、 もう一泊し、地上48mもの大神殿の3本柱跡や、 シジミの宍道湖や松江城、そして三朝温泉や その奥の三仏寺「投入れ堂」(by役小角)、…

△ 25 ▲ ギザギザの二枚貝から生まれた導きの神

「加賀」とは「輝く」の意で、 赤貝の古語「キサガイ」の姫が 猿田彦の母であり、 そのキサガイ姫が「金弓」を射た時に 輝いたからその名が付けられたのだし、 このとき「金矢」が貫いたのが、 「新潜戸」の東西の洞門であるし 的島の孔であるのだ。 ために…

△ 24 ▲ 『 Izumon Holiday 』

狭い入口を船が恐々抜けると、 幅20m*高さ30m*長さ200mの壮大な間が広がる。 八雲が「肋骨状の骨を彫り、穹窿の股を刻み」 といった円天井へ視線を動かしていくと、 「御手水鉢」〔おちょうずばち〕(「御手洗」、「地蔵の泉」;→水)が、 思い出したアト…

△ 23 ▲ 猿田彦生誕の地

旧潜戸の後は、もう500m潜戸鼻岬の先端に向かう。 この自然美に撃たれた小泉八雲は、 蒸気船のポンポンいう、時には不機嫌そうな騒音さえ、 「神を言祝ぐ祝詞に聞こえる」と語った。 〈ギリシア、アイルランド、フランス、アメリカを . 経巡ってきた、生来…

△ 22 ▲ 大陸進出もきちんと実行する先進国-化

この翌月、1927年7月に岩波文庫が始まっている。 5月に第一次、翌1928年4月に第二次の 山東出兵を始めとして、日本の大陸進出が 現実化していき、同1928年5月には アフリカで黄熱病を研究中の野口英世 ――「新1000円札!」――が、 その黄熱病に罹って53歳で死…

△ 21 ▲ 天然記念物もきちんと保護する文明国-化

景観はいうに及ばず、地質や成立など 学術的にも貴重な洞窟であることが判明、 再認されるに到り、 1914年、第一次世界大戦。 1920年、国際連盟に加入。 1923年、関東大震災。 1924年、第二次護憲運動開始。 1925年、東京放送局のラジオ放送開始。 1927年3月…

△ 20 ▲ ベッドの上でのように激しく、ペッティングのような神の行為

1000万年以上前の旅重なる火山運動で 噴き出した火山弾・軽石・火山灰などが 混じり合って堆積して出来た岩盤地層に、 断続的な地殻変動によって岩盤に亀裂や 断層が生じ、あるいはそれが崩落して隙間が出来、 この隙間や脆い部分を日本海の荒波と風雨が 永…

△ 19 ▲ 「天然記念物保存法」

このタイミングがよかった。 1919年(大正8年)、「天然記念物保存法」が公布され、 僅か1500人の加賀村の村長;小須賀榮久 ――愛称「オスカー」―― を中心に「加賀の潜戸」で是非その指定を受け、 観光立国化しようではないかという気運が盛り上がる。 県を通…

△ 18 ▲ 志賀直哉や島崎藤村など文人続々

志賀直哉や島崎藤村が、 小泉八雲の『日本瞥見記』を読み、 「加賀の潜戸」に訪れたのは明治の終わりである。 この評判が広まって、 観光客が続々押し寄せるようになる。 .

△ 17 ▲ 「ghostly」

八雲の検索キーワードは「ghostly」である。 これはまさに日本の「霊妙さ」や それへの思慕;「畏敬」に相当する。 道教の「玄妙」とも通じるし、 とかく表面世界・表象世界にはない、 奥深い神秘である。 大体そもそも「カミ」とは 「隠れ」に通じ、「隈」…

△ 16 ▲ 東大の英語講師

もと東大講師の小泉八雲。 明治36年に依願退職、 後任に夏目漱石と上田敏が収まった。 .

△ 15 ▲ ニライカナイを睨むラフカディオ・ハーン

私の場合はその場かぎりの、 特段悪気のない創作と演技力だが、 八雲=ラフカディオ・ハーンの場合は深刻である。 出雲へ来る直前に復習していたので、 『日本瞥見記』の一節が反芻された。 〈それは口を突いて出ていた。〉 「霊は海から来て、海へ帰ってい…

△ 14 ▲ 即席の感傷と副急涙

控え目な調子で、 しかしその役分を覚えたか、 老婆の方が思い切ったように私に、 「どうか為されたんですか?」 と訊いた。 私はまるで『伊豆の踊子』の川端康成かのように、 「人と別れてきたんです・・・・・・」 と答えてしまい、 同行の彼女にプッと吹…

△ 13 ▲ 朝崎郁恵の哀別悲歌;『行きゅんにゃ加那』

この旧潜戸に入っていって、 ――ここは「御胎内」なのだ(!)――、 用意していた奄美の大歌手; 朝崎郁恵の『行きゅんにゃ加那』 をICレコーダーで聴いたら、 予想が的中して感きわまってしまい、 ポロポロ落涙し、 同乗していた老夫婦に えらく心配された。…

△ 12 ▲ 「漁師さえ落ちたら一巻の終り」の荒波

私は夏至の頃に、 檻になった遊覧船で 加賀港を出発して5分あまりで、 高さ40m程ものそそり立つ岩に到った。 八雲の時代には 「髪の毛3本動かすだけの風が吹いたなら加賀行は欠航!」 というくらい厳しかった、危険なアドベンチャーだったものが、 今であれ…

△ 11 ▲ 「墓石の原型」;→やはり原点へ回帰せよ!

このほど千葉では ――まるで大震災かのように―― 200基からもの墓石が倒され、 足蹴にされたが、 その「墓石の原型」と考えてよい。 実質・実物の無い、 「ネット墓地」如きは 余りにも不謹慎だッ! .

△ 10 ▲ 「子の重さ」を備えたストゥーパ

少々裕福な者は「石地蔵」をそこに置いたが、 そうでない貧しき者たちは、 御百度参りをするような一途な気持ちで、 「子の重さ」を想いながら、 五重の塔;ストゥーパを 手造りしたのである。 玩具や身に着けていた物などが 供えられている。 .

△ 9 ▲ 「旧潜戸」の「賽の河原」

「加賀の潜戸」は特に、 「賽の磧」(=サイのカワラ)がそこにはある。 子を亡くした母たちが、 その成仏を願って、 人の頭〜靴の大きさほどの栗石を、 一つ一つ積み上げたものである。 .

△ 8 ▲ 小泉八雲の『日本瞥見記』

明治24年に小泉八雲は 『日本瞥見記』において この「加賀の潜戸」を絶賛した。 子供を亡くした小泉八雲は ――あれッ? 違ったっけ?―― 観世元能の『隅田川』の子を亡くした母の心境で、 永らく塞いでいたのだが、 ために日本の「幽霊」や 東洋の「霊」意識に…

△ 7 ▲ 「加賀の潜戸」〔かかのくけど〕

そして出雲といえば何といっても 「加賀の潜戸」〔かかのくけど〕である。 .

△ 6 ▲ たぶん日本じゃない時間の土地なのだ

また一方、山陰地方の人々は 非常に交通法規を厳守する。 制限速度40km/hの国道8号&9号線で、 鳥取に入り島根に向かうと、 39km/hで走り、 38km/hで走る。 これには普段温厚な私も 延々逆走せざるを得ない。 なので、あの地方へ行く都会の人々は、…

△ 5 ▲ オロチも事故るワイナリー

また、すぐ東には 巨大なワイナリーもあって、 「試飲し放題」なために、 「30万円の罰金」を恐れる云々よりも、 「軽〜く一杯」のつもりが 確実に事故に到るであろうから、 地域に必ず宿を取り、 タクシーなどで訪れること。 「ヤマタのオロチ」と評われる …

△ 4 ▲ 静粛な各地の「秘祭」

例の八重山の秘祭;「アカマタクロマタ」や、 稲沢の国府宮神社「裸祭」、 また、吉野熊野の最奥地;天川弁才天社の「節分会」 が想われる静粛さだ。 .